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見守る保育(保育アーカイブ)

木場公園での「ゾーン選択」

2019/06/19

■見通しをもつ姿がたくさん

にこにこ組は2回目、わらす組は4回目となる木場公園へのバス遠足でした。バスも道路も公園も、見覚えのあるモノや空間や風景なのでしょう、「あそこはこんなところ」「もうすぐこうなる」「こんなことをやってみたい」といった『見通しを持つ』という姿が、たくさん見られた遠足になりました。同じ場所に繰り返し通うことで、体験が深まっていくプロセスがよくわかります。一人ひとりやりたいことや楽しみ方が、明確な輪郭を持ち始めました。
■自分なりに、やりたい遊び
そのような成長の姿は、公園に着く前のバスの中で既に見られました。小林先生が「公園に着いたらみんな、どんなことをやってみたいですか?  こんなことやってみたいなぁ、こうやって遊びたいなぁ、そういうのありますか?」と聞くと、あちこちから元気よく「はい、はい、はい、はい」と手が挙がり、マイクを向けると「虫かごを持って虫を集めたい」「サッカーと虫探し」「蝶々を捕まえて持って帰りたい」「ゲーム」「ボール投げ」などと、自分なりの言葉でたくさん表現してくれました。
■公園でも「ゾーン選択」
公園に着いてしばらく走り回ったりした後、「虫探しグループ」6人が花壇やビオトープのある方へ遊びに行きました。その活動内容は、ホームページのクラス別ブログをご覧ください。これは公園の中での「ゾーン選択」です。やってみたいことを自然と広げていく保育の展開のことを、保育士の専門性としては「環境の再構成」と言うのですが、そのポイントは、子どもの興味や関心の延長線上に環境を再構成することです。これを就学前教育で大切にしている遊びによる経験カリキュラムと呼びます。
■学校の学習も興味や関心を深める学びへ大転換を図る予定
それとは反対に、子どもの興味や関心の延長線上ではなく、その繋がりをあまり気にしないで大人が体験させたい活動を、時間割通りにやる勉強が学校の教科カリキュラムです。ただし2020年度からは、学校も子どもの興味や関心に基づくアクティブラーニング=『主体的・対話的な深い学び』に大転換を図ることになっています。
■好きな遊びに熱中して
モンシロチョウやモンキチョウ、アゲハチョウが飛んでくると、サッカーやボール投げも一旦中断し、チョウを追いかけて走ったり先生を呼んだりしています。今日もまた、子どもたちのためにつかまってくれたチョウたちに感謝です。
この3月までいた保育園で、ドッチボールをやっていたと言う男の子は、当たらないように逃げるのが得意で、ボールを受け取ったり、投げ返したりする事は、今回私とのあいだで楽しむことを覚えました。
原っぱに座り込んで、シロツメクサを集め小さな花束を作ったり、それを材料にして、ままごとを始める数人のグループもあります。お皿は大きな葉っぱ、小枝がお箸やスプーンです。ズボンのポケットに木の実や小石をいっぱいため込んでいる子もいます。
にこにこ組の子どもたちも、好きな方に歩いたり走ったり、アリを見つけて立ち止まったり、虫かごに入っているチョウやバッタをじっと見つめたりしています。小枝や木の実を見せに来てくれたり、その子なりに感じたことや気づいたことを、私たちと共有しようとしてくれています。
■子どもたちの主体的、対話的な深い学びへ
バスの中や公園や地域にまでその保育「環境」を広げていく上で、子どもたちが興味や関心に基づく見通しを持ち「何々をやりたい」という意欲をもつことは「主体的な学び」の必要条件です。サークルになって話し合ったり、園に帰ってきて振り返ったりする「対話的な学び」も深い学びにとっては、必要不可欠です。
バス遠足が、子どものやりたい遊びの発展形として定着していきそうです。公園の中には、保育園などに貸しているサツマイモ畑もありました。その活用方法も、検討してみたいと思います。

尊敬すべきママたちの毎日

2019/06/17

■「わかってほしい」ママの毎日

これまで数多くの家族と接してきた経験から、ママたちの本音は以下のような感じだと思っています。決してこれが、平均的な姿であると言うわけではありませんが、部分的には当てはまるところがあるんじゃないかなーと思っています。圧倒的に、尊敬すべきママたちの毎日をみんなで共有しておきたいと思っています。
(先に断っておきますが、以下に出てくる「ママ」は、パパでもババでもジジでも好きなように置き換えてください)
■熱が出ようものなら大変
ママはとにかく忙しい。やることが山ほどあって、毎日が時間との戦いです。誰よりも朝は早く起きて朝ごはんや弁当を作り、なかなか起きない子どもをなんとか起こし、トイレに行かせたりオムツを替えたり着替えさせたり。子どもがまだボーッとしている間に、体温を測っておく。もし、ここで熱があったものなら大変!「えっ、今日もまた、代わりに頼まないといけない。この前、代わってもらったばっかりなのに」と慌て、と同時に、その日の予定はガラリと変わってしまう。「どうしよう。今日は水曜日、かかりつけの病院も休みだし」「あー、もう有休が5日しかない。9月まで持たないなぁ」などと考えている間もなく、朝の時計は容赦なく進んで行く。「ねぇ、お願いだから、泣かないで!」。
■保育園に着くまでが大仕事
子どもは元気で熱もない。朝食はあまりゆっくりは、出来ないから、パパッとできるものにしているけど、子どもの食べるのはゆっくりだから、その間にママはお化粧と出かける準備を済ませておく。やっと子どもが「ご馳走さま」で、ここまでに、朝のウンチの習慣は出来てないし、正直その余裕がないなぁ。せめて「靴を自分から履こうとしてくれれば、ママ、助かるんだけどなぁ」。 こうして、やっと保育園までたどり着いたぁ。
■これからが私の本職なんだけど
昼間は職場で「苗字」で働いているのに、保育園では「◯◯ちゃんのママ」になる。最初は違和感を覚えてたけど、今となってはもう慣れた。今日の私の仕事の頑張りを、聞いてもらえるパートナー。その存在のあるとないとでは大違い。私のアイデンティティは妻、母だけじゃない、プロとしての職業人としての私の方が私らしいと思うとこが多いのになぁ。専業主婦じゃなくて、仕事と子育ての両方がんばっているママ友が欲しい。
■夕方からがまた、時間との競争
保育園のお迎えと買い物、晩御飯を作り食べさせたら、お風呂にも入れて、日によっては掃除や洗濯をしながら、子どもの相手をしたり、寝るときに絵本を読んであげたり。子どもが、なかなか寝付いてくれないと、やろうと思っていたことが出来ずに、それはそれで「どうしよう!」となってしまう。早寝早起きが良いことぐらいわかってるんだけど、あんまりプレッシャーかけないでほしいなぁ。
■一人でいる自分の時間を持ちたい
子どもが寝た後に見る連続ドラマ。1日の中で最も贅沢な時間。人には言っちゃっいけないと思ってしまう密かな楽しみ。最後にお風呂に入って、ゆっくり熟睡したいけど、夜子どもが泣いて起きてくる。夜の授乳や夜泣きの対応も結局ママがやるしかない。爆睡中のパパを起こすなんてできないし。みんなどうやって、子育てしてるんだろう。追い詰められている、私がいる。お願い誰か気づいて欲しい。
・・・ルルルルル。目覚まし時計が鳴った。また朝がやってきた。
(写真は文章とは関係ありません)

木場公園が園庭と思えた瞬間

2019/06/12

■3回目の木場公園
木場公園へのバス遠足も今日で3回目になります。先週7日よりも、たっぷりと遊んできました。今日は道路もあまり混んでおらず、信号待ちも少なくて約20分で木場公園に着きました。わらす組の子たちにとっても見覚えのある景色が増えてきて、両国橋を渡るとき今日はスカイツリーが見えました。
■小林先生はホスピタリティのお手本
「わぁ、すごいなぁ、わぁ、珍しいなぁ」と、子どもの好奇心に訴えて、場を盛り上げたい、サービス旺盛な小林バスガイド。私が個人的に面白かったのがこの場面。流石の小林バスガイドの説明も3回目にして、はやくもネタ切れ?のはずもなく、わざと向かいからすれ違うただの普通のバスでも「あー、すごいね、あのバスみんな見えるかな、『回送』って書いてあるよ、わぁ、珍しいなぁ」と、時間稼ぎにでたトークに対して、海の「海草」と勘違いした子がいてくれて、子どもが笑いに落としてくれました。小林バスガイドを救ってくれたT君、ありがとう。
■子どもは乗り物が大好き
しかし、小林バスガイドの本領発揮の場面がやってきました。「ピーポーピーポー」とサイレンを鳴らして走り去った特殊車両が通ってくれた時でした。「とても珍しい車が走っていったね。パトカーでも、救急車でも、消防車でもない車でした。なんだと思う?」私も「!?」と引き込まれてしまいました。
「今のはね、血液ってみんなわかるかなぁ、人は体の中に血液が流れてるんだけど、動物もそうなんだけどね、その血液を急いで運ぶ自動車だったんだよ」
その車の正式な名称は「献血運搬車」でした。そして自然な流れとして、「はたらくくるま」の歌が口ずさまれます。
「♫働く、くるーまー、
♫ケンケツウンパンシャ!」
■はらっぱの引力を再確認
昨日まで雨が降っていた公園なので、土の表面がつるんと光っているところは「滑りやすいから気をつけて」といった程度の注意確認の話もそこそこに、広い原っぱに散り散りに飛び出して行きました。まずは大抵の子たちが走り出します。こんなに広いところは、隅々まで走り回らないともったいないとでも身体が感じ取るのでしょうか。面白いですね、虫かごを持っていても走っています。
サッカーが好きな子は、ほとんどの時間を友だちや先生を相手にボールを蹴って走り回っていました。虫がいそうな場所を探し回っているこもいます。公園に着くなり、最初に子供たちの群がりができたのは、大きな銀杏の木の根元に見つけた大きなミミズでした。鳥についばまれていたのか、ほぼ絶命状態でしたが、子どもたちは恐る恐る、興味深げに見入っています。
■モンシロチョウを追って
遊んだ時間も長かった上、かなり走り回わることになったのは、モンシロチョウのおかげです。ヒラヒラと舞い回わるモンシロチョウを捕まえてたくて、「あ、あっち、ちょうちょ、いた!」と追いかけます。モンシロチョウがこんな速いとは思っていませんでした。自分たちでは捕まらないと悟ったのか、見つけるたびに「先生!」と叫ぶようになっていた子どもたちでした。5、6匹は捕まえたでしょうか。小林先生と坪井先生の走行距離もかなり伸びました。次回は万歩計をつけてもらいましょう。
(「あとは、自分たちで、やってやって」とモンシロチョウを捕まえた網を子どもたちに任せる坪井先生と、それを見守る小林先生と古野先生)
■「いざこざ」が自然に包まれる
チョウが捕まるたびに虫取り網に、子どもたちが群がります。虫かごの中は子ともたちの宝物に変わり、それを誰が持つか、宝物の争奪戦も同時に勃発します。このようないざこざも、何度も続くと、狭い室内だったら大人もイライラしてしまうでしょう。ところがこのように大自然の真下で、自分の欲求をぶつけ合う姿を見ていると、怪我をしない限りは、どんどん気持ちをぶつけあったほうがいいんだろうなぁと、思えてきます。子ども同士の関係は、大自然に包まれて初めて育まれていくのかもしれません。
「さっき捕まえたのは紋白蝶だね、これは紋黄蝶って、書いてあるね。同じ仲間だけど、羽の色が黄色いのが紋黄蝶で今日捕まえたのは紋白蝶だね。」
■身についていたルール
水筒を置いているブルーシートの周りに鳩が寄ってきたときも、ずいぶんと長い間、鳩との鬼ごっこが続いていました。
鳩がサイクリング道路側へ逃げても、子どもたちは、そちらまで追いかけて行く事はありません。原っぱの中にとどまると言うルールを、きちんと守ることができていました。安心して見守ることができます。公園は何組も保育園の子どもたちが来ていて、目印としての緑の帽子が役立ちました。
走り回ってくたびれると、木陰に置かれた木枠の台に座ったり、立ち上がってアイドルのように体を揺らして歌う真似っこをする子もいました。
■園庭にいた感じを思い出す
最初にここに来た時、外に出てしまう子はいないかと、監視するかのように子どもの数を何度も数えていた緊張感に比べたら、今日は長閑です。園庭にいる時の安心感を思い出しました。こうなってきて初めて、子どもの傍らで一緒に生活している感じがしてきます。今回は、自然と「ですます調」で書いていることに気づきました。これが、ハラハラすることがなかった証拠かもしれません。
■帰路の車中も和やかに
いっぱい体を動かした後で、下町の玉子焼き屋さんや、たい焼き屋さんの前に赤信号で止まると、お店の人が手を振ってくれます。なんだ、妙に嬉しいですね。

研修会の講義を終えて

2019/06/02

6月1日
■保育士向けキャリアアップ研修会
幼児教育の意義と保育内容について、昨日1日、島根県江津市の先生たちに話してきました。午前中2時間、午後3時間でしたが、始める前は長いなぁと思った5時間も、実際にやってみると足りなくなってしまいました。新しくなった保育所保育指針の改定内容を、本当によく納得するには、その前提となっている考え方や枠組みも理解しておく必要があるからです。
■日常感覚でとらえる言葉に一度は置き換える
例えば、「心情・意欲・態度を育て、学びに向かう力、人間性等」という目標概念が新しくできたのですが、これをきちんと説明しきるだけでも、1時間ぐらいかかるからです。これを作った「学識経験者」たちは、日本の学校教育(幼児教育から後期中等教育まで )全体に、辻褄が合うように一貫性のある体系化を試みました。なるほど、だからそうなったのか、と受け止めるためには、ある程度の時間が必要です。しかも、どうしてそのようになっているのかを、私たちの日常的な感覚に結びつけて納得してもらうためには、わかりやすい例えや、具体的な実践事例を通して、頭の中につながりを作っていく必要がありました。
■日本語を英語や対立語でとらえる
今週1週間のニュースダイジェストを見ていたら、新しい元号の令和を、トランプ大統領は演説の中でビューティフル・ハーモニーと、使っていました。これは外務省が公式に令和をそう訳したからでしたね。
よく知っている日本語の言葉であっても、それを英語にしてみたり、反対の意味や対となる言葉を並べてみると、新しい語感や意味を感じるときがあります。昨日の講義のなかでも、いくつかありました。少し、紹介します。
■道徳の英語は・・
例えば、教育には「道徳」と言う言葉がよく出てきます。英語で言えばセンス・オブ・モラリティーです。「あー、倫理感の事なんだなぁ」と一度、シンプルな意味から組み立て直した方が、自分の言葉で考えやすくなります。
「自立」と言う言葉も教育や子育ての中で大切な概念ですが、英語で言えばインデペンデント、反対言葉は「依存」ディペンデントです。
日本語では同じジリツという発音になる「自律」の方は、セルフコントロール(自己コントロール)あるいは、オートノミーですから、いちど英語にしてみると「自立」とはかなり距離のある概念だということがわかってきます。反対は「他律」で英語はペテロノミーとなります。
■自分からやるか、言われてやるか
自分で自分のことができることと、やってもらったり言われてできる事は、結果は同じように見えても育ちの視点から見れば、大きな差があることに気づきます。自律で、できるようになっていくのか、それとも他律でできるようになっていくのか。主体的に生きるためには、自律的に自立することが先なんですが、その育ちの過程では、いま自立している大人の人も、例外なく依存と他律の時期が幼児期にはあったことになります。
■「ひきこもり」の反対は自発性
精神的な自立、社会的な自立、経済的な自立、それらを混同してしまって、一言で「ひきこもり」と言ってしまう日本語の粗雑さに、もっと敏感でありたいと思うニュースが溢れてしまいました。
ひきこもりの英語は、ソーシャル・ウィズドローです。withdrawalの反対語は発達心理学的に考えれば、自発性や自主性です。これも就学前の幼児期に獲得する発達課題といえます。社会的事件には常に当事者たちの教育成果が何割か含まれています。それを相関関係があったかなかったかまで、要因分析する事は難しいのですが、人の一般的な心の発達原理を再確認することはできます。
■私たちの判断の元となる言葉も再吟味
的確な判断に至るには、それを私たちが無意識に使っている概念(言葉)について、自ら吟味しながら考え直すことも必要です。それは日本保育学会に参加したときの日記にも書きました。
昨日は、このような概念整理をしながら、一つ一つ、幼児教育の目的、目標、ねらい及び内容について、その根拠となっている法令まで遡り、そして子どもを理解するために、新しく導入された枠組み(乳児の3つの視点、幼児の10の姿)と、従来からある教育の5領域の関係や繋がりを、再確認しました。決して楽しいとは言えないテーマですが、私たち保育士が日本で働くからには、避けて通ることができないものです。

神話の故郷島根で、人と自然の関係を考える

2019/05/31

■豊かな自然が目の前に広がる
畑の耕運機の周りを何羽も鳥が飛び交っています。凄い!と思ってシャッターを切ったら、目の前の高校生2人が目を覚まして同時に顔を上げました。私が撮っているものが、それだと分かると、すぐまた夢の中にもどっていきました。「悪かったね、起こしちゃって」。そう心で呟いて、またシャッターを数枚だけ切りましたが、2人は、もう起きません。
(「疲れたぁ」と笑っていた2人。約1時間30分の移動、お疲れさま!)
自然豊かな田舎の風景が、延々と続いています。眺めているだけで、目が健康になりそうです。山、川、海、鳥、花、何でもあります。だけど人があまりいないのは、しょうがないかなぁ。ここは島根県の中央部。J R 山陰本線アクアライナーがもうすぐ江津市に着きます。明日6月1日に、保育士向け「キャリアアップ研修会」で5時間の講義が待っているのです。
■自然に魅せられた大人が子どもの傍らにいる大切さ
講義のテーマは、幼児教育の意義と保育内容です。その中に、教育の5領域「環境」があります。一般に自然が少ないと思われている千代田区の子どもたちも、少ないながらに、生き物に好奇心や探究心を持って関わり始めています。
ただ大人になっても、どうやったらその自然環境を生活に取り入れ続けることができるのか、そんなことを考えている時、目の前に鳥たちが現れたのでした。こんなにすごい自然が目の前に展開されているのに、運動部の少女たちは、いつも見慣れた風景だからでしょうか、それには関心がないようです。後でわかったのですが、今日は高体連の大会が開かれていたそうです。それはそれで素晴らしいことです。
いくら環境が豊かであっても、関わりがなければ経験になりません。その経験の質が、教育の質にダイレクトに関わります。まずは心揺さぶられる体験がなければ、好奇心も探究心も生まれようがありません。
私にとって、今日の出来事は、象徴的でした。そして、次のような強いインスピレーションを与えました。
・・・人間の心は人と人の間で成長する。子供にとって、自然に感動している大人がそばにいなければ、子どもはその自然に共感し続けることができないのではないか。・・・
人と自然の関係は日本の場合、縄文時代から「里山文化」と言う形で、バランスをとってきました。その精神文化が、国づくり神話を生んだ、ここ島根には息づいています。それが千代田区の神田祭までつながっていることに思いあたり、5領域「環境」の、次の趣旨が新しいイメージを持って迫ってきたのでした。
「周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもって関わり、それらを生活の中に取り入れていこうとする力を育む」

(巻頭言)子どもの心の世界を見つめながら

2019/05/30

園だより6月号「巻頭言」
 雨がやんで日差しがのぞいた昨日の朝、ちっち組がバギーで散歩に行くことになった時のことです。先生が「ちっちさん、散歩に行こう」というと、何人かがその気になって赤いドアの方へ向かいます。廊下を過ぎても玄関へ向かわず、階段を登るのが楽しくなって、四つん這いで登り始める子もいました。先生が「そっちじゃなくて、お散歩に行こうよ」というと、止まって振り向きます。でも、先生が近づくと安心したのか、また階段を登り始めます。2階まで登った後、立って降りるのはまだできないから、結局、玄関まで抱っこしましたが、この間の子どもを「見守る」中に、育ちを保障するための大切な時間が流れていました。

お散歩に行こうよ、という「保育者の願い」と「こっちに行ってみたいもん」という子どもの願いが、柔らかく行き交っていました。ちっちさんは言葉ではなく、目配りや表情や仕草でそれを伝えています。先生は言葉で言ってもわからないだろう、なんて素ぶりは全くなく、穏やかな雰囲気の中で「あれ、そっちにいくの?」と、赤ちゃんの気持ちに寄り添いながら、外へ誘うタイミングを見計らっています。そんなことがしたいのね、と認めながら、ゆったりとした気持ちで接しています。0歳の赤ちゃんにも、もちろん人間としての尊厳があり、その意思や気持ちを尊重しながら、生活を作り上げていく。こんな時間が流れる日常になってきたんだなあ、と思うと、感慨深いものがあります。子どもたちの心が、だいぶ落ち着いてきたようです。

 ちっちやぐんぐんさんは、私と目線を合わせて手を振ると、手を振って返してくれることが増えました。こうして言葉にならないうちから、赤ちゃんとの「心の通い合い」と「挨拶」が成立していきます。挨拶は心を通わせることが大切だと思うので、いろんな心の通わせ方が、いろんな形の挨拶を生んでいます。
にこにこ組の子は、顔を見るとおもちゃを渡しに来たり、手を振るとちょっとだけ手をあげて「やあ」とやってくれたりします。幼児になると、やりたいことを一緒にやりたがります。「挨拶」と「一緒に遊ぼう」が一瞬で融合します。挨拶なんて、どこへやら、親御さんはハラハラかもしれませんね。でも、子どもの気落ちは分かっていますから大丈夫です。先日も子どもから「園長先生さようなら」と言われた時、「もっといてほしい」という気持ちが届いたので、少し遊びました。

ここに述べたことは、私と子どもたちとの関係ですが、園生活が始まって2ヶ月がたち、親子の関係、先生と子どもの関係が上手にバランスをとりながら、一人ずつの子どもの心の居場所が広がってきたようです。意欲的な姿を大切にしながら、子どもの「やりたい」の向うに目線を送りながら、人と物と空間の環境を整え、発展させていきたいと思います。

 園外保育、暑さ対策、水遊びの場所作り、交通環境の改善、隣のビルの解体、心痛む悲惨な事故報道など、色々なことが子どもを取り巻く環境にはありますが、子どもの心の世界をしっかり見つめていきたいと思います。

ルールは守るといいことがある

2019/05/23

■ルールは守ればいいことがある

「いいですか、大人になったらね、自動車に乗って自由にいろんな所に行けるんだよ。でもね、守らないといけないことがあるんだけど、それはなんだと思う?これをちゃんと守れば、自動車で行きたい所に行くことができるんだけど」
こんな話を昔、子どもたちにしたことがあります。
「それはね、信号を守ることです。青信号は進め、赤信号は止まれ、だよね」
子供たちは、うんうんと納得します。交通安全指導の話ではありません。ルールを守れば、やりたいことが実現すると言うことを伝えるための話です。やりたいことをやるには、お友達のやりたいこともできるようにする必要があります。そのためにルールというものがあることをわかってほしいからです。ルールはどこからか勝手にできるものではなく、それを守ることで良いことがあると言う経験が必要です。
■「ルールは守ればいいことがある」が嘘にならないように
この話を思い出したのは、信号を守らない交通事故が後を絶たないからです。子どもに「青信号は進め」とだけ教えるとはできません。昔から「青信号でも、本当に車が来ていないか、右左をよく見てから渡ろう」でしたが、今はその切実さが違います。
さらには、赤信号だからと歩道で待っていても、事故に遭うとしたら、どうしたらいいのでしょう。柳原通り全てとはいいませんが、せめて園のまえや、車が侵入してくる交差点のそばにはガードレールを付けて欲しい。ヒューマンエラーのリスク削減の原則は、意識改善ではたりず、物理的な改善が必要だからです。

東京都の行政説明会(5月22日)

 

交通事故で子どもや親が巻き込まれて死亡する事案が相次いだことから、東京都が危険箇所の再点検に乗り出しました。そこで、警察署と千代田区に保育園から改めて要望書を出すことにしました。「ルールを守ればいいことがある」と教えられることが、続きますように。

皆さんもこんなこと考えること、あるでしょ?

2019/05/14

■振り返る時間があることへの感謝

毎日、1日を振り返りながら、自分の行いを反省する時間があることに感謝する気持ちになります。振り返り。簡単な言葉ですが、その時何を感じ、思い返し、気づくことができるのか。1日を振り返ったとき、いろんなことに気づきますが、ありがたいことに、自分の有り様に気づける時は本当に「ありがたいなぁ」と思えます。どんな自分に気づいたのかということは、恥ずかしいのでここでは言いませんが、同時にいつも、こんなことを考えます。
⭐️
「こんな複雑な生き方をしなければならなくなった人間て、一体何なんだろう」
⭐️
そして、最近また、こう思うようになりました。
自分が「自分の有り様に気づける事がありがたいと思えると言う事は、自分がなぜだかわからないけど『よりよく生きようとしている』と言うことに他ならないんじゃないか」と。
実際のところ、どうして人がよりよく生きようとしているのでしょうか。どんな行動にも、どんな感性にも、どんな言葉にも、その裏側には、「よりよく生きようとしていた自分」と言うものがある。それに気づき、信じることができれば、自信をなくす必要など全くないのではないか。そのことを皆さんに強く伝えたいと言う気持ちになります。子育てに間違いなんかないんですよ。一言で言うと、あなたの今のその存在がそのままで大丈夫ですよ、と言うことです。
■善さを探求した村井実という人
人は、なぜだかわからないけれど、よりよく生きようとしている。このことを哲学的に突き詰めて考えた人に、村井実という人がいました。私の世界観に大きな影響を与えた方で、今でもブーメランのように影響を与え続けている哲学者です。若い頃はよくわからなかったけど、こうして歳をとってくると「すごい人だったんだなぁ」とわかる人がいるものです。皆さんも、機会があったら、ぜひ村井実の思索のプロセスに付き合ってみてください。人の生き方の本質が見えてきます。
■気づけることが幸せなこと
今日、どうしてこんな話になったのかと言うと、ある方と「徳とはなにか」について、夕方から話をしたからです。その人は、ある会社の社長さんですが、純粋に生きている方です。いつも物事を真正面から捉えて言葉にする人なのですが、生きていく中で、自分が思い込みすぎていたことに気づく瞬間と言うものがあるよね、というテーマになっていったのです。
そして結論は、「そういう気づきができるというのは、幸せなことなんじゃないか」ということになりました。
■等身大の私
今日はこんな主観的な思いをつらつらと、園長としての日記に書き連ねる意味があるかどうか、自分でもわかりません。でも、そんな悩める人間が、園長をやっているという等身大のリアリティーを理解していただけたらありがたいです。「皆さんもそんなことってあるでしょ」と言うことです。

ゾーンの紹介 ごっこゾーン

2019/04/15

ごっこゾーンは、今は生活に慣れたお家をイメージして設定しました。その中で自然とお店屋さんをする姿もあり、少しずつ必要なものを増やしています。子どもたちのやってみたい、なりきりたい思いを表現するゾーンなので、今後はお姫様?王子様?コックさん?などなど中身は子どもたちが広げ、変化していくゾーンです。

最初は冷蔵庫とレンジが大人気!家では出来ないからこそ、やってみたい気持ち(意欲)が体験できて大好きなゾーンの1つになりました。

真似してやってみたがることの意味

2019/04/13

土曜日は子どもが少ないので、先生と子どもの距離が近くなり、関わりが密になります。「先生これやるけど、〇〇君もやってみる?」。絵本にブッカーをかけたり、ラミネートで掲示物を作ったり、階段や廊下の掃除をしたり。先生にとっては仕事であっても、子どもにとっては興味深い体験であり、新しい学びになっています。子どもは大人がやっていることを真似してやってみたくなります。「子どもはどうして、真似をしたくなるのだろう?」と改めて考えてみると、面白いことに気づきます。

【行動の意味や目的を知りたがる】
実は、子どもは真似をする前に、このように考えます。「あれ、先生が絵本に何か透明なものをくっつけようとしている。何をしてるのかなあ」と思って、子どもは、こういいます。
「先生、何してんの」
なぜ子どもはそう聞くのでしょうか。何をしているのかと聞きながら、実は何をしているのかだけを聞いているのではありません。そうすることの意味、あるいは目的も聞いているのです。
また、お友達がそう聞いて先生から返事をもらっているその様子を、じっと見ているお友達もいます。このように、人がやっていることには意図があることを察して注意を向けるのが9ヶ月ぐらいから始まっています。言葉が上手に話せるずっと前から、人は観察によっていろいろなことを学習しているのです。
【目的志向の模倣について】
絵本にブッカーを貼りながら「この透明なのはね、ブッカーって言うんだけど、こうやっておくと、絵本が長持ちするんだよ」と、先生が説明しています。
同じように、ラミネートをする時も「2枚あったのが1枚になって、中に紙がサンドイッチみたいになったでしょ。これで丈夫で綺麗な掲示になるね」といったやりとりが見られます。
このように、やっている事の「意図を理解すること」で、その目的に向かって自分もやってみると言うのが、ヒトしかやらない模倣の本質です。ただそのままやり方を真似ると言うことも多いのですが、幼児になってくると目的を達成するためなら子どもなりにやり方を変えることもあります。そして、自分のやった出来栄えを確認したがります。狙っていた目的にかなった結果になっているかどうかを確認しているのです。それが「みて、みて」と言ってくることの意味なのです。
このような目的志向の模倣は、ホモ・サピエンス独特のものです。そのような場面が、今日はたくさん見られました。
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