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見守る保育(保育アーカイブ)

藤森統括園長の講話

2019/04/06

藤森統括園長と私は、兄弟でも親戚でもありません。クラスの担任から「保護者の方から聞かれた」と聞きました。兄弟ではありませんが、私の師匠です。師匠がいなかったら、私はこの世界に足を踏み入れる事はなかったでしょう。そのいきさつは別の機会に譲るとして、今日は私の師匠の皆さんへのお披露目の日、と言うと変ですが、とにかく師匠の話をたくさんの保護者の方に早く聞いてほしいと思っていました。開園して1週間、最も早い土曜日に設定させてもらいました。今日ご参加いただいた保護者の皆さん、ありがとうございました。以下、話を要約してご紹介します。

【どうしてこのような保育なのか】
今日の講演の内容は、2つテーマがありました。1つ目はどうしてこのような保育なのかということでした。私たちの保育は、「子ども一人ひとりを大切にした保育、子どもの主体性を育む保育」と言うことができます。
世界ではいま、保育の質に関する研究が盛んです。中でも、脳科学の進展によって、人生が健康で幸せであるためには、乳児の頃の在り方がとても大事であることがわかってきました。
例えば、一歳になる頃までに、環境から受ける刺激の感受性がピークになるという研究があります。その研究が正しいとすれば、赤ちゃんにとって必要な環境は親だけではなく様々な人々の応答的な関わりだ、ということになります。
これは人類の進化の中で、ずっと行われてきた子育てとも一致します。しかし日本では、家庭や地域にこども同士の群れ社会がなくなってしまいました。大人がさせる体験ではなく、子どもの方から環境に働きかけて、その変化が子どもに戻ってくるような体験が大事なのです。
【これからの時代に必要な保育】
AI技術の進展によって、今ある仕事の約7割近くがなくなってしまうだろう、と言われています。どんな時代になっても必要な資質や能力は何か?それは一言で言うと非認知的能力です。平たく言うと、何かを認識して覚えたり理解したりする力は、コンピューターが得意です。
しかし、人の気持ちに共感したり、自分の感情をコントロールしたり、何かと何かを組み合わせてクリエイティブで芸術的な営みを行うこととか、人と協力して何かを成し遂げる、そういった人間力が将来も、もっと必要になるだろう。そうした力を育てていくためにも、人と人の関わりを大切にして、長所に着目しながら持って生まれた力や脳のシナプスが強くなった部分を伸ばしていくこと、その人格特性を一人ひとりの個性として伸ばしていくような教育が必要になります。
【子育てのポイントについてQ&Aも】
参加された方々から、いくつか質問もありました。家庭での育児のポイントは?睡眠時間が与える発達への影響は?お稽古事についてはどう考える?こんな質問に、「師匠」から答えてもらいました。

子どもの内面世界を想像しよう

2019/04/05

すべての子どもたちが帰った後の保育園。誰もいないのに、子どもたちが残していった、様々な出来事がおもちゃ箱のように積み重なっています。1日を振り返ると言う事は、そのおもちゃ箱の中から私だけが知っているおもちゃを、もう一度手に取って、その数個のおもちゃをめぐる子どもの内面世界を追想することに似ています。まだ5日しか経っていないのに、もうこんなにたくさんのおもちゃが積み上がってしまった。もう、全てを紹介することを不可能です!毎日1冊の本が書けそうな位ですが、残念ながら1日は24時間しかありません。本当に残念です。
【だんだん子どもらしさを発揮】
「だんだんその子らしさを発揮してきましたね」「本当はこんなことやりたがってるんだよね、やっぱり」。日を重ねるごとに、そんな先生たちの会話が聞こえてきます。
ママやパパと別れて、1人で過ごした寂しさを、たった1日で乗り越えた赤ちゃんがいました。「たった1日で、けろりと泣きやんで。あんなに泣いてたのに」と今朝、ちっち組の先生が教えてくれました。君はどうしてそんなことができたのと、聞いてみたい。その子がもし話すことができたら何と言ってくれるんだろう。「ママと別れるのは嫌だけど、別れちゃったあとは忘れてた。だって、こんな面白いことがいっぱいあるんだもん。泣いてる暇はないわ」とでも言ってくれそうな気がします。
私はこういう子どもたちの姿の中に、本来の子どもらしさを見出します。心理学者だったら、順応性が高いとか、レジリエンスが高いなどと言うのでしょうが、私には、「子どもは複数でいて初めて子どもであり得る」と思えて仕方がありません。だから先人は「子」ではなく「子ども」と複数形で表したのでしょう。英語のchildrenも複数形ですね。
【制止を振り切ってでもやりたい欲求の強さ】
また1歳児クラスの中だけでは飽きたらず、とにかくいろんな場所を探索してみたいと言う子もいます。その、やってみたいと言う意欲の強いこと、強いこと。まさしく子どもらしい子どもです。私はその姿を、おおらかに肯定します。大げさな話ではなく、真実の話として、この「新しいものへのあくなき欲求」という、持って生まれた資質があるからこそ、アフリカではなく日本と言うこの極東の地にまで、私たちホモ・サピエンスの先祖がたどり着けたのです。「そっちには行かないでね」「それはやらないでね」と言う制止言葉を振り切って、人類は地球上に広がっていきました。
【好奇心いっぱいの子どもたち】
その子もまた、移動できるようになってこの数ヶ月の間に、同じような制止言葉をもう何十回も聞いてきたはずです。それは顔を見たらわかります。その子はその言葉を聞く前から、「この人もまたきっと、私に向けて、やっちゃダメとか、そっちに行かないでとか、そんなことを言うだろう」と、もう想像がついている顔をしています。ものすごく賢くて、そんなことを言いに私に近づいて来てるんだろうなと、空気を読みきっています。子どもにとっては、全てが新しいことの発見の連続だから、その面白さ、楽しさに比べたら、「それを我慢してやらないでおくなんてできないわ」と言う表情をしています。
【ちょっと想像してみよう】
私たちはその欲求の強さをどうやったらリアルに想像できるでしょうか。大人の場合に置き換えて想像してみるとしたら、こんなのはどうでしょう。例えば、その欲求の強さは、ディズニーランドのアトラクションに2時間並んだ後で「今日はもうこれで終わりです」と言われて入れなかったときの気持ちぐらい悔しいと想像してみてください。そんなことになったら、ブーイングの嵐ではありませんか。私にはまだ子どもの方が素直だと思います。まだ生まれて2年も経っていないのに、とても我慢強く物事に接しています。それに比べて大人の方が切れやすく短気です。
だから、たいていの保育園は、最初からそんな面白い情報に接しないように、そんな習慣をつけないように、管理保育を行うことになっていくのです。
社会的なルールを身に付けて、自分の気持ちをコントロールできるようになるのはもう少し先です。ですからこの時期を大人から見たら何でも抵抗するように見えるので「いやいや期」などと名づけましたが、これは現代社会の環境がそういう名前をホモ・サピエンスに貼り付けただけです。子どもたちの中には、何でもやりたがるキュリアス・ジョージ(好奇心いっぱいのジョージ。日本語訳はおさるのジョージ)がたくさんいるのです。

園長の日記〜子どもの育ちと私たちの保育

2019/04/01

「子どもを取り巻く環境によって、子どもの発達を促す経験がどのように違ってくるのか」。私たち社会福祉法人省我会は、このことの探求に多くの時間を費やしてきました。この「園長の日記」では、園長から見た園全体の動きや、保育エピソードをとおして、保育の意図や意味、子どもの姿の捉え方などを語っていく予定です。

園庭はなくても、町全体を園庭に

2019/03/26

ちっちゃな園庭でこじんまり遊ぶより、広い地域そのものが園庭なんだ。そんなつもりで戸外活動も積極的に行う予定です。今日は散歩コースの確認。園舎から、歩道橋を渡って昭和通りを越え「和泉公園」「佐久間公園」「美倉橋東公園」の遊具状態をチェック、人の混み具合なども皆で体験しました。柳原通りを直進して美倉橋を渡るルートが比較的、安全です。
エアスプリング素材の布団が届きました。通気性の良い新品の布団です。厚みがあって、程良い反発性が心地よい眠りを作り出しそう。サイズは大きめですが、2つ折りにして布団庫に収まりました。この布団のサイズにぴったり合う専用のシーツを使ってもらい、保護者の方には、週に1度取り替えてもらうつもりです。
神田川側のベランダには、窓ガラス上部部分に転落防止のネットを張りました。普通に生活している限り、十分な高さの窓ガラスのフェンスですが、子どもは思いもよらぬ行動をとることがあり得るので、万が一に備えた措置です。子どもたちは窓ガラス越しに、風景を楽しむことができます。またその窓ガラスには、外部からの覗き見や、撮影などから子どものプライバシーを守るために、ドットの大きさがグラデーションになったフィルムを貼りました。和泉橋の歩行者や、向かいの高層ビルなどからの視線を防いでいます。
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