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見守る保育(保育アーカイブ)

子どもに聞こえる「面白い」もの

2024/04/15

子どもは新しいものが好きなので、大人から見るといつも見えている世界の「正面」よりも、「先端や裏側や異物や意外なもの」に目をつけてきます。もちろん大人だってハッとすることもありますが、子どもが注目するものは「面白い」ものなのでしょう。今日は午前中に幼児20人と一緒に公園で過ごしたのですが、大人なら聞こえないような物からの「呼びかけ」が子どもたちには聞こえるようです。

大型のアスレティック遊具やブランコ、砂場などもあるので、もちろんそれで遊んだり、広い原っぱでかっけっこや鬼ごっこ、かくれんぼもやったりします。私が鬼のタガメになって逃げ回るおたまじゃくしたちを追い回すというひと時もありました。それはそれで楽しいのですが、こんな姿もたくさんありました。

「こっち」と私の手を強く弾くので、引っ張られていくと、歩道の欄干を歩きながら手でなぞり始めます。地面の上を枝を手にして車のワイパーのように左右に動かしているので、なんだろうと思ったら、地面の上を履くようにすると現れてくる小さな石。それを拾ってポケットに詰め込んでいます。

何かの葉っぱを口につけて「ピー」と音を鳴らしたり、花壇の縁を上手に落ちないように渡って歩いたりしています。丸太を模したベンチは飛び石の遊びになり、根本から別れた樹木の枝は木登りに使われています。

アリを見つけてはそれを追いながら、自分の持っている枝に登らせようとしている子もいます。手にした紙コップには、枯葉と何かの幼虫が入っていました。数人の女の子が輪になって座り込んでいるのでなんだろうと思うと、公園の水道メーターの蓋を開けてその中にいるダンゴムシを捕まえては、また元に戻してあげたりしています。

子どもたちは、大人がここで遊んでほしいとデザインした物や空間ではないところも、自由に関わりを求め、探索をしたり、それらの世界に出あおうとしているようです。

(ここで紹介したような写真があまりなくてすみません。写真を撮るのを忘れてしまうぐらい、めだたない遊びなんですよね)

選ぶこと・ものの性質に興味を深めること

2024/04/13

「園長の日記」では、年度の初めなど新入園児の方が入っていらっしゃるので、「そもそもの話」をすることが多くなります。例えば、なぜ子どもの直接的な体験が大切なのかとか、どうして遊びを大切にするのか、あるいは当園の保育目標に関連してなどです。そういう基本に立ち返って保育を振り返ると、私自身も改めて気づくことが出てきます。

この二日ほど幼児の「剣づくり」をクラスブログから紹介しましたが、そこに当園の保育として意識的に大切にしていることがあります。なぜ剣を作りたい!になったのかはわかりませんが、(今度Yちゃんに聞いてみますが。聞いて分かるとも限りませんが)作った後でやる経験が、何か一緒にやる遊びの一つのツールとして使われていくのか、とか、一人で黙々と作ることも大事なのですが、それ(剣)を一緒に作り上げたり、作り方を教えたり教えてもらったりすることも大切にしています。子ども同士の関わりです。

そこまでの一連の活動の流れの中で大切にしていることをいくつか取り出してみましょう。まずは、子どもがやりたいことを決めて選ぶことができることです。その時間、その場所で何をするかを自己決定するということです。今日はその、そもそものところをお伝えしておきます。

生活のある時間と場所で、何かをすることになっているとします。起きる時間、朝食の時間、登園する時間などを思うかべてください。その「することになっている」状態に参加するかどうかは、本来は自由なのかもしれません。登園するかどうか、何時に登園するかも自由、というわけです。でも私たちは生活のリズムを大切にしたいし、朝食も食べて欲しいわけです。それを「しない」選択は選んで欲しくないわけです。生命の保持と情緒の安定に関することや基本的な生活の習慣のようなことです。そういう「望ましいこと」を選択できるように育って欲しいと私たちは考えています。何が望ましいことかの話は、結構複雑なので、またの機会にします。

また「登園するかどうか」にまで本人に委ねてもいいのですが、そこはお家にいたい!となると働いている親御さんは困るので、「なんとか登園してほしい」と思ってもらいたいわけで、そこは「保育園が面白い!保育園に行きたい!」という選択になるように、保育園は目指していることになります。そういう消極的な意味ではないのですが、まずは保育園に行きたいという気持ちになることを大事にしています。積極的な意味については、9日の日記に書いたつもりです。

さて、子どもの自己決定の及ぶ範囲の話をしているのですが、当園した後もできるだけすぐに遊び始めることができるようにしているのですが、それでも子どもの数によって出勤してくる先生の数も増やすようにシフト勤務をしているので、開園したばかりの朝の7時半から8時半ごろまでは1階の部屋での合同保育です。どの年齢の子どももそこで遊びます。遊ぶ内容によって、制限が生じます。すぐに散歩には行けないし、すぐに屋上で縄跳びもできません。でも短剣作りなら場所はあまり問わないので登園するなり始めることはできます。

そうすると、ある程度先生が揃ってから、製作ならその材料が色々揃っている場所でできる時間になったら「選べる」という条件付きの選択をやっていることになります。その時間までは待てるとか、お昼ご飯の時間になったら一時的に中止できるとか、そういう活動の「切り替え」というものが時間と場所の制約の中で求められることになります。「こわさないで、とちゅう」などと紙に書いて(カードや印を置く、ことも)別の活動に移ることをよくやっています。ここで文字を書くという経験にもなっています。

その次の分岐点が室内で過ごすか、戸外で過ごすか、です。当園の場合は園庭がないのですが、ベランダや屋上は戸外に似た要素があります。ベランダの砂場で泥団子を作るという活動場面に限るなら、園庭や公園の砂場よりも面白い活動になるかもしれません。この室内か戸外かも選択出来ます。ただ「食わず嫌い」を作らないような配慮が大切です。

短剣作りの遊びの話に戻ると、大事なのはその製作過程でわからないことやできないことは教えてもらったりしながら、「やっているのは自分」「自分がやっている」という主導権は本人であることです。他人にやってもらっているのではない。やらされているのでもない、ということです。教えてもらう、というのは本来の活動が自分でできるようになるまでの支え、サポートであったり、高すぎる階段を自分で登るための踏み台、スモールステップに例えるといいでしょうか?階段を登るのはあくまでも本人、子どもです。短剣を作るのはあくまでも子どもです。

ここで無藤先生に教えていただいた遊びの定義を思い出します。あ、短剣作りたい!という思いつきから目標設定が始まって、どんな形だったっけ?になったでしょうから、そこにも本人が以前見た映像のイメージはあっても具体的な形にすることは難しいので「教えてもらう」「見本をみる」など映像的な手がかり得る過程が生まれるでしょう。そこも、どこまで先生や大人が提供するかという判断もあるでしょう。できるだけ、本人が作りたい目標に向けて、自分で考えて試行錯誤してもらいたいからです。ここに仮説を立ててやってみるといった課題解決プロセスが生じます。そしてできた!という達成感。なんとも嬉しそうです。

あの遊びが学びになっているのは、その形を実体化する方法の素材がダンボールと折り紙でしたが「切る」と「貼る」という、行為がまれていたことです。ものを「分ける」と「つなぐ」で新しい創造になっている過程があって、そこにいろんな道具が使われています。「分ける」は破る、ちぎる、切る、砕く、つぶす、溶かす、蒸発させるなどの方法が色々ありそうです(料理はそれが多い)。「つなぐ」の方は、貼る、結ぶ、かく(書くも描くも)なども、何かと何かをつっつけて新しい形にしていきます。二つ以上のものが一つなります。このような遊びの中で、色々な物の性質に気づき関心を深めていくことできるでしょう。

ちなみに造形には粘土のように可塑性や弾力性のあるもの変形させるという面白さもあります。小麦粉粘土など2歳ぐらいからでも「分ける」と「つなぐ」がすぐにできて、感覚的にも面白いのでしょうね。また思わずある形があるものに思えてきたり、また変わってしまうこと、それを自分の関わり方一つで変化する面白さがありそうです。

そして試行錯誤が目立ってわかりやすいのが剣の修理というか補強に取り組んでいる姿でした。振り回しているうちに剣が曲がったり折れたりして頑丈にするという方法を見出していました。使い捨て文化を見直すなら、大人も修理して使い続ける姿を子どもにもっと見せたいものです。素材の折れやすさは、自分が負けるという戦いには致命的な素材の弱点だから、どうやったら強くなるかが、強い動機になっているようにも思えて面白いのでした。

 

「昨日のつづき」が今から未来へ

2024/04/12

今日も「昨日のつづき」が展開した様子を幼児のブログが描いているのでご紹介します。

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「制作ゾーン開けてほしい。剣作りたいから」と今日も朝早くから剣作りで盛り上がっていました。

あるお子さんは、朝保育園に向かいながら「今日はこうやって作ってみようかな」と、保護者の方と剣作りの話をしながら登園したそうです。

園についたらこれを作りたい。あれで遊びたい。そんな思いを持ってウキウキしながら保育園に来てくれる姿は私たち保育者にとってとても嬉しいことですね。

楽しかった。また作りたい。そんな気持ちを言葉だけでの表現ではなく、お家に帰ってからお家の人に見せたり、寝る時まで側に置いていたり、もっと強く作ったり、遊んでみたりと子どもたち一人ひとりが違った形でも、その日の出来事をきちんと自分の経験として持ち帰ってくれたのかなと感じました。

 

登園してきたわいわいのHくんも作りたくてうずうず。

剣切りの順番を待たなければいけません、、、

でも作りたい気持ちがあるため、椅子に座って順番がくるのを待っていました。

完成させると、「うわ〜!海賊だー!」と嬉しそうに遊んでいました。

剣には水で溶かしたボンドを折り紙に塗っていますが、折り紙1枚を贅沢に使って何枚も張ってしまう子もいました。

この使い方はもったいないな〜と思っていると、すいすいのNくんは、剣の形に沿って細かく折り紙を切って貼り付けていました。

Nくんの貼り方を見てMちゃんも必要な分だけ器用に切りながら貼っていました。

さすがすいすいさんですね。ハサミを器用に動かしながら細かく切っていました。

後片付けまでしっかりやっていました。

 

決めポーズ

夕方になると、RくんとMくんは

「今度は銃をつくりたい」と新たなものへ発展!

<<制作遊びを進める中で>>

ある男の子はいつも制作ゾーンではなく他のゾーンで遊ぶことが大好きなようで、製作ゾーンで遊ぶ姿をあまり見る機会が少ないなと思っていました。剣作りが始まった日もそばにきてずっと見ているだけ。「作る?」と声をかけても「見てるだけ」「家にこれより強い剣あるから」と…

私たちも無理にさせることはしません。子どもが自発的に作り始めてほしいからです。

でもその子に何かきっかけがあれば、「作りたい」となる気がするんだよな〜と思っていたので、きっかけや仕掛けの用意だけはします。そこからやるかやらないかは本人が決めます。

そこで昨日の夕方屋上で剣を使って遊ぶ時間を作ると一番に「ぼくもつくりたい!」と大きな声で言ってくれたのです。そんな彼は誰よりも無邪気に剣を振っては、ガムテープで補強して、を繰り返していました。

彼は今日は日中公園へ出かけた以外のすべての室内の時間を製作ゾーンで剣作りに夢中になっていました。彼にとって素敵な経験になっていたらいいなと感じました。

子どもが遊びをつくっていけるように

2024/04/11

自発的な活動としての遊び。そこをどのように実現していけば良いのでしょう。保育園では子どもをただ遊ばせているだけということでは決してありません。また、ただ家庭の育児の代わりをしているわけでもありません。遊びの中にいろんな学びが入っているのですが、そこを具体的にお伝えしたいといつも思っています。

子どもがどんどん自分たちで遊んでいけるように、先生たちが援助するポイントはどこにあるのでしょう?昨日と今日の幼児クラスのブログをご覧ください。子どもの「やりたい!」が作り上げられていくプロセスがよくわかります。少し長いのですがご紹介します。

・・・・

保育の中で偶然が重なり、遊びに発展

剣をつくりたいとYちゃんからの一言から一緒に作っていました。

 

剣を片手にするゆうちゃんを見て男の子たちを中心に目がキラキラキラキラ〜

と剣の魅力に吸い寄せられるかのように

「せんせい、ぼくもつくりたい」と集まってきました。

すると、

「せんせい、つくって」

「せんせい、やって」とやる前から大人に頼んでしまう姿がちらほら、、

「作りたいのはみんな。

作るお手伝いはできるけど、作るのはみんなだと思うんだよね。」

大人が作ることは簡単にできてしまうけれど、園では作るまでの道のりも体験してほしいという私たちの思いもあります。

この子はどこまでできてどんなところで手伝いが必要なのか。大人が気づくだけでなく子ども自身も自分に気づくきっかけにもなるかもしれません。

 

「まずは剣の形を描いてみよう」

「ボンドで貼ってみよう」

「ダンボールカッターを使って、一緒にダンボールを切ってみよう」

色んなものに触れながら物の使い方や自分で作っていくおもしろさを感じながら…

「できたー!」と次々と自分の剣を完成させていきました。

 

このままだとそのあとの子どもの姿がちょっとヒヤヒヤするよね、、、とこちらもドキドキしながらどうするか職員でミーティング。

実はこの日、和泉公園で男の子数人が枝を手に戦いごっこ?のように落ちてくる桜の花びらに向かって振って遊んでいる姿がありました。

剣を作りたいと言ってきた子の中には公園で枝を振って遊んでいた男の子たちもいました。

日中にそんな男の子たちの枝を武器のようにして遊ぶ姿もあり、たまたまその日に制作で剣を作っていた偶然が重なり、、

作ったものをそのまま持って帰るのもいいけどせっかくならそれを遊びに取り入れたいと思い、急遽夕方に戦いごっこができるよう屋上を開放することに。

気持ちの良い風が吹く中で、大人が持つクッション型のポール相手に思いっきり剣を振る子どもたち。

 

私たちは体を張って全身で剣を受け止めました。

 

そんな遊ぶ友達の姿を見てさっきまで見ているだけだった子も「作りたい!」「わたしもやりたい!」と気づくと夕方みんなが作り始めていました。

作り終わると屋上へいき、思い切り体を動かして、、、

途中でポキッ

あ…………

すると迷うことなく部屋へ戻りガムテープで補強!

すぐに屋上へ。

またポキッ…

え……

またまたガムテープで補強。

らんらんさんはテープをペタっと貼っただけ。すぐにポキッ。あれ?

すいすいさんはぐるっとテープを巻きつけてきました。折れない!

学年によっても直し方の工夫が異なっていておもしろかったです。

折れても直せばいい。こうすれば直るんだ、こうなったらどうしようか、もっと強くするためにはどうしようという考える力が子どもたちの中で生まれ始めました。折れない剣がいい、壊れたくない、でも遊びたい。そんな自分との葛藤と向き合い、どう自分自身と折り合いをつけていくのか、、、うまくいった経験だけではなくその葛藤や悔しさへの出会いこそ子どもの心の育ちにつながっていくのかもしれません。

はじめは大人頼りの子どもたちでしたが、作ってからは自分たちでなんとかしようという考えに変わっていました。

気づくと1時間半近く屋上と部屋を行き来しながら遊んでいました。

最初は金や銀の折り紙で輝いた剣を作っていたみんなでしたが、補強した結果、ガムテープの剣に見事に生まれかわりました笑

戦いごっこというとちょっとヒヤヒヤしたり危ないからやめてほしいという大人の気持ちが強くなりがちですが、(私たちもこの遊びをすることにドキドキしてました…)

ただ子どもたちのイキイキとしたキラキラした表情を見ると、これはやってよかったなと心から思うことができました。すごくみんなの表情が可愛かったですよ♪

園ではお兄さんお姉さんの立場で何かとお手伝いをしてくれる頼りのあるすいすいさんも、無邪気に剣を振り回す姿はなんとも微笑ましかったです❤︎

まだまだ大人の手は必要ですが、ちょっと遊び方を工夫したりみんなで約束守りながら楽しい遊びをつくっていけたらと思います。

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以上が、今日のブログです。子どものやりたいことが実現していくプロセスの中にいろんなことが入っています。

 

 

必要なことを選択できる育ち(共同主体性の育ち)

2024/03/27

来年度の保育の年間計画が、出揃い始めました。各クラスの新しい担任がこんな1年にしたい、という保育目標を言葉や写真で表現しています。その内容は4月のクラスごとの保護者会で説明させてもらいますが、今年は子供が主体的に関わる環境の有りようを、乳児の3つの関わりの視点から10の姿までを、かなり具体的なこどもの姿として、つなげて表現することができそうです。

乳児の身体的な発達と思われている視点を、自己との関わりの視点と読み変えることで、行為主体性が、共同主体性に成長していく事例を並べてみようと言うわけです。例えば、ある遊びを眺めていた子供が、その遊びに入った途端、その決まりを守る必要があり、それを守れなくなった時、例外条項を共有していることに気づきました。タイム、透明人間、トイレ、お茶を飲みに行く、などなど決まりを守らなくても良い理由を宣言していくのです。まぁ律儀だなぁと思っていたのですが、ここに共同主体性が機能していることに気づきました。

これまで選択めぐって、自分のやりたいことを選択すること、他者との関わりの中で、身につけていく社会性の両極を橋渡しするものとして、「発達に必要なことを選択できるようになる」と表現していたのですが、これこそ、共同主体性の育ちと位置づけてみようと言うわけです。

 

好きだから生まれる目標と練習

2024/02/22

好きなことを自分で見つけてその目標に向かって試したり、工夫したりしている姿を見ると、やっぱり、それぞれに始まる「遊び」がいかに大事か、と思えてきます。何日も前から練習していた子どもたちによるダンス「怪獣の花唄」が、今日の誕生会で披露されました。誕生会そのものは、わらすのホームページでのブログや、アプリのクラスドキュメンテーションを見ていただくとして、担任からこれまでのいきさつを聞き、気持ちよく踊っている子どもたちを姿を見ていると、こんなことを想像していました。

この子たちは「いいな」と思うお友達のダンスを何度も見たそうです。ダンスを始めた子たちは主にNちゃんとMちゃんの2人で去年夏ごろから。2人とも同じ小学校に姉がいて、オリジナルの振り付けをした「怪獣の花唄」に夢中になっており、その姉の影響受けた2人が保育園でもダンスをしだしたのがきっかけです。

バトントワラーを習っているKちゃんもダンスが好きなので、ちょうど同じ頃、時々、見せあったりしているうちに、周囲に広がっていったそうです。発信源2人の影響が大きいのは、周囲に「いいな」「たのしそう」「やってみたい」と思わせる力があったからでしょう。

最初の2人はそれぞれ姉がやっているダンスを身近に見たり、おそらく行事で行われた録画のビデオを何度も見たりして、その音楽やダンスの「完成形」がイメージされていて、それを再現して楽しんでいるときは、本人はいい感じになっていると思っていそう。みるからに、自信を持ってやってます。ここにも個別最適な学びと協働的学びがあるように思います。言葉による対話と言うよりは、身体的表現による対話があるからです。

それからもう一つ。個別最適な学びの発生に関わる大事なポイントだと思うことですが、最初に「いいなぁ、楽しそう、やってみたい」というのがあるかどうか。そういう出会いがあるかどうか。思わずやってみたいと思うような活動と、偶然出会う可能性の高い場が用意されているかどうか。新しい世界や時代が紡ぎ出されるようなネットワークがあるかどうか。

「みんなの前でやるのは恥ずかしいと言う感じだったのが、お楽しみ会をきっかけに、見せたいと言う気持ちが高まっていったように思います」

このように言う担任の捉えている子供の変化は、行事を通じて表現し合うことが学び合いや対話になっていると言うことなのでしょう。

そう考えてくると、よく「結果よりもプロセス」とか「努力の過程を大事に」という話があるのですが、それはそうなのですが、前提として大事なのは、やはりそれが好きだということでしょう。努力は好きだからこそ自然に生まれるといいですよね。努力の前に、その前に「楽しい」「面白い」がしっかりあって、そのちょっと先に見つかっていく目標という関係が大事な気がします。この事は、平凡な結論のように見えますが、新しい世界が開かれていく可能性に結びつくように、遊びというものが機能しているんだと考えると、遊びはとても大切なことだと思えてきませんか?

 

成長展の動画の説明(前文)ができました!

2024/02/21

あさって24日(土)の園の行事「成長展」のために、先生たちがクラスごとに3〜4分ほどの動画を作成しました。テーマは戸外遊びです。私の役割はその動画のイントロダクションを作ること。全体を通して、どんなことが描かれていて、どういうあたりに注目してほしいか、またその見方の提案のようなことを述べることになっています。

そこで0歳から1歳、2歳、3歳、4〜5歳クラスまで5本の動画を通して見てみてみました。成長展はそもそも子どもの育ちと自らの保育を振り返る行事で、主に「教育の5領域」で振り返るので、まずはそのこと、そして発達の過程ではその成長のその時期ごとに必要な経験をすることが大事なこと、また活動の中には遊び性が溢れていて、その過程の中に目標の達成に向けた問題解決プロセスが含まれていて、その真剣な試行錯誤ぶりを見てもらいこと、その過程は私たち大人がやっていることの練習のようになっていませんか?という提案を述べる、ということにしました。

でも、短くないといけない。せいぜい1〜2分で聞いてわかるような文章でないといけない。この例えでいいのかな、ミスリードしてないだろうか。動画は、明日22日に流しますが、そのイントロダクション(前文)のところだけ、ここに先にご紹介します。動画は明日までのお楽しみに。

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成長展 特別展示〜戸外遊びから考える「環境の広がり」〜

私たち保育者は、子どもの育ちを「教育の5領域」から捉えています。健康、人間関係、環境、言葉、表現というものです。これは子どもの経験を分析的にみたときに含まれている要素のようなものです、料理に例えると、タンパク質や炭水化物、ビタミンやミネラルなどの栄養のようなものに似ていますね。

そう考えると、赤ちゃんの頃からなんでもよく食べるようになって、栄養が身について大きくなっていくように、教育の要素も子どもたちの心と体にとってなくてはならない栄養のようなものです。成長展では、栄養が身についていく様をいろんな切り口でご覧いただきたいと思っています。いろんな料理を美味しそうに食べている姿と言っていいでしょう。

その中で、今年の特別展示は、クラス別の動画を作ってみました。千代田せいが保育園は園庭がない保育園ですが、それをハンデと考えないで「地域を園庭のように活用しよう」と考えて、園内だけでは体験できないことを、散歩やバスでいろんな公園に出かけたり、自然の中で戸外遊びを楽しんできました。今年はその様子から、子どもたちの成長をとらえてみました。

子どもの発達には、その時期その時期に、その年齢に相応しい必要な経験というものがあります。これは適時性とか敏感期と言われたりするように、その時期だからこそ大事なものであって、それは先取りして行うものでもなく、また個人差もあるので同じ時間や場所で一斉に行うこととでもないでしょう。

さまざまな欲求が満たされて情緒が安定すると、好奇心を持って探索を始め、自ら環境に関わって、その関わり方と意味に気づいていくことを繰り返しています。それが遊びです。室内の探索でも戸外での散歩でも、遊びの中でいろんなことを身につけているのです。

遊びというものを、また環境からの呼びかけに呼応しながら面白いことを見つけると、その中に子どもなりの目標を立ち上げて、その目標を達成しようとして、いろんな問題解決にとりくんでいます。全ての遊びにそれがみられるので、そういう目で見てみてください。遊びは自分で課題を見つけて自分で解決していこうとしている真剣な取り組みなのです。それはまるで大人の私たちが仕事の中で、答えのない課題を解決しようとしていることと同じ構造になっていて、将来の課題解決の練習をしているかのようです。どのように自分で目標を定め、そのための課題を発見して解決しようとしているのかを、ぜひご覧ください。

 

 

子どもの葛藤と忍耐を経て育まれる信頼する心

2024/02/19

ぐんぐん組のブログをご紹介します。タイトルは「葛藤と忍耐と信頼と・・」です。

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お部屋で遊んでいたとき、Rくん(2歳5か月)が持っていたレゴブロックが欲しくなってしまった、Cちゃん(2歳10か月)。いつもみんなが「ケータイ」に見立てて使っているものだったので、お人形の赤ちゃんのお世話ごっこに使いたかったようです。

みどり色のブロックが2つと、青色が2つ。同じ形のものが全部で4つ、Rくんの手元にあります。
Cちゃんも欲しいけど、まだRくんが使ってるんだよねぇ…と大人に受け止めてもらいつつ、涙ながらに悔しい気持ちをこらえるCちゃん。
「Cちゃんは、何色がほしいの?」と聞いてみると、「みどり」と言います。

さて、ここからは大人の腕の見せどころ?です。
Cちゃんの代わりに、Rくんにもお話を聞いてみます。どうすれば『貸してあげようかな』と思ってくれるかなぁ…うまく交渉できるでしょうか? 力ずくで取ってしまうわけにはいきません。伝え方やお願いの仕方、距離感…大人なりの交渉術を、実践してみます。
「Cちゃんはみどりが欲しいんだって。(・・・) Rくんが使い終わったら、貸してくれる…?」などと少しの間 Rくんに語りかけていると、最初はヒートアップしていた名残りなのか「ダメー」と言っていたRくんも、そのうち 「うん(終わったら貸すよ)」とうなずいてくれました。
子どもたち、言葉はだんだん巧みに使えるようになってきているけれど、お互いの気持ちがぶつかり合っていたりすれ違っていたりする場面となると、やっぱりまだ大人のフォローが必要なことも多いですね。
でも、Rくんとのやりとりを一緒に聞きながら、Cちゃんも落ち着きを取り戻し、Rくんが貸してくれるのを大人と一緒に待っています。
「Rくん、終わったら貸してくれるって。それまで(お人形の)赤ちゃんのごはんでも作って待っていようか」とCちゃんに伝えると、すこしホッとしたのか、Cちゃんも気持ちが切り替わります。

「やりたい!」「ほしい!」「わたしの!ぼくの!」と、最初こそ 気持ちと行動が先に行ってしまう瞬間もあるけれど、涙ながらでも、大人に寄り添ってもらいつつ、ぐっ!と悔しい気持ちを堪えて、自分なりにクールダウンしていく姿がそれぞれに多くなってきています。また、そうして気持ちを切り替えるまでの時間も短くなってきて、言葉でやりとりしてみようという姿も増えてきているように感じます。

少し経って、Rくんが、「ハイ」と持っていたレゴブロックをCちゃんに渡しにきてくれました。


Cちゃん、Rくんがブロックを持ってきてくれると「Sちゃんにも」と、まずSちゃん(2歳9か月)に手渡します。一緒に赤ちゃんのお世話ごっこで使いたかったようです。

なるほど…『こういうふうに遊びたいな』というごっこ遊びのイメージやストーリーをしっかり思い描いていただけに、どうしてもそのアイテムが欲しかったんだなぁ、とCちゃんの思いもわかった気がしたのでした。
Rくんが、ブロックを貸してくれようとしつつも うまく取り外せずに苦戦していると、「これ、取ろっか?」と、Rくんに聞いて外してあげようとするCちゃん。

Rくんも うん、と素直に渡して、うまく取れるかなぁ?というようすで眺めています。

さっきまでの攻防がウソのようです。(笑)

そのあと実は、CちゃんとSちゃんに2つずつブロックが渡って、今度はRくんの手持ちのブロックがなくなってしまって、一悶着あったのですが笑、同じようなやりとりをして、しばら〜くしたのち、最後はみんなで分け合って、遊んでいました!最後はちゃんと、誰かが譲ってあげる気持ちを見せたり、納得し合ったりして遊べるのが素敵です。

こうして、ケンカもたくさんするけれど、「待っていたらそのうちちゃんと貸してくれるんだな」「ちゃんと分かってくれるんだな」という体験が、けっこう、その後の子ども同士の関係によくあらわれてくるような気がしています。モノの貸し借りのやりとりを見ているとよくわかります。
何度ぶつかっても、大人の力を借りながらやりとりして、一度、そのお友だちと気持ちが通じ合う体験をすると、「この子はそのうち分かってくれる」と子どもなりに安心するのでしょうか。そうしたことの積み重ねで、それぞれの信頼関係が結ばれていくようにも見えます(もちろん、それだけではないと思いますが)。

(↑茶色の「麺」が欲しいYくん(2歳3か月)。取られちゃうのはイヤだけれど、それなら、お皿に取り分けるから待ってね、とYくんのぶんを取り分けるCちゃん。Yくんも、自分のぶんをお皿によそってもらうのを待っています。)

ぐんぐん組(1歳児クラス)の時期は、何かやりたいことや欲しいものがあるとき、まだ自分の気持ちを自分でコントロールするのが難しくて、ついお友だちのものを取ってしまったり、手を出したくなってしまったり…ということもたくさんあります。でも、子どもたちの姿を見ていると、やってはいけないこととか、どうすべきか、ということは、ほんとうは子ども自身がよく分かっているのだと思います。

分かってはいるけど、気持ちがまだうまくおさえられずに咄嗟にやってしまう…という感じでしょうか。大人でも、イラッ!とした気持ちを自分でコントロールして落ち着けるのは一苦労することもありますね。そんな 大人でも難しい「感情のコントロール」を、こんな小さな子たちが、子どもたちなりに一生懸命、体験して練習しているのだと思うと、涙ぐましい努力だなぁという気分になってしまいます。

だから、そんなふうに子どもの気持ちが爆発しているとき、一度ぐっと立ち止まって相手とやりとりしてみたり、ちょっと待ってみよう、と思えるために、大人がお手伝いします。
子ども同士の気持ちがぶつかったとき、何かが”正しい”とか”間違っている”とか”良い、悪い”とかを教えるのでなく、子どもの気持ちに寄り添って 一度クールダウンさせてあげながら、”子ども同士の関係を結んでいく”お手伝いをしているというイメージがあります。
やってほしくないことはしっかりと伝えたり、こうしたら?というアドバイスはしたりもしますが、あくまで、子ども同士の関係の つなぎ役 という気持ちです。
そして、子どものケンカは 案外、それぞれの子の思いの行き違いのようなこともよくあります。例えば、カバンを取り合っているとき、一方の子はこのカバンが欲しいけど、もう一方の子はこのカバンの中に入っている中身が欲しかったんだね…!など。言葉足らずだった部分を、大人がよく聞き取ってお互いに伝えてあげることで、解ることもあります。

子どもたちが忍耐強く、友だちとの間の葛藤やその先の喜びを体験しているのと同じように、大人にもまた根気と忍耐が必要です。子どもの気持ちに寄り添いながら、というのは、すごく時間がかかるもので、目に見えにくいものであるけれど、ふと気付いた時に、『こんなやりとりができるようになったんだ』とか『そんなふうに貸したり待ってあげたり譲ってあげたりするようになったんだね』とか感じる瞬間は、すごく嬉しくなります。子どもたちの体験してきたことの積み重ねは、そうしてふとした瞬間に感じることができるものなのでしょうか。

いま、小さなみんなが自分の身で全力で体験しながら学んでいる、葛藤や忍耐、相手と通じ合ったときの喜びや人への信頼感…というものは、きっとこの先ずっと、生きていくための力になっていくのではないかなぁ、そうであったら嬉しいなぁ、と願いながら、過ごしています。だからこそ、一つひとつのやりとりや出来事を、できる限り丁寧に読み取って、見守っていきたいと思っています。
1年後、5年後、10年後…そして、みんなが大人になったとき、どんな風になっているのかな。と、ときどき楽しみな気持ちで想像してしまうのです・・・が、気が早すぎるでしょうか😅

保護者主催の「子どもが幸せに生きていくヒントを見つけよう」

2024/02/17

今日17日午前中は姉妹園の「新宿せいが子ども園」で、その保護者と卒園家庭からなる「落四小学校区域の学童クラブを考える会」(代表・渡辺仁子)が開いたイベント「子どもが幸せに生きていくヒントを見つけよう」に参加しました。

まず「保育園を考える保護者の会」代表の渡辺寛子さんから、こども家庭庁の「幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン(はじめの100か月の育ちビジョン)」が紹介されました。渡辺さんはその会合の委員でもあり「これから出されてくる色々な政策の大元はこの5つのビジョンに基づいているのになるでしょう」と。

続いて紹介された、この会に参加している方に事前にとったアンケート「子どもが大人に言われて・されて嫌だったこと」と「大人が子どもの時に言われて・されて嫌だったこと」の結果からは、本人からすると大人が過干渉になっている傾向が見られました。

それらを受けて、いわゆる「見守る保育」については、藤森平司園長から乳児保育における保護者の関わり方の話が、また元ソニー開発マネージャーで『パパだからデキる子育て術』の著者である鬼木一直・東京富士大学教授からは、見守る保育の意味についてのミニ講演がなされました(録画)。

さらに脳科学者でもある一人の保護者からの話題提供もあり、盛りだくさんの内容を踏まえてのグループディスカッションは熱のこもったものとなりました。

このイベントは、主催している会の名前から想像できるように、卒園したあとの学童のあり方を考える会ではあるのですが、子どもが幸せであるために、学校の在り方や学びのあり方も考えていこうという趣旨の内容になっています。就学前の学びと就学後の学びをつなぐ活動のあり方として、保育と学童の連続性を考えるための、いい機会になりました。

 

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