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保育アーカイブ

身体的コミュニケーションとしてのダンス(東京すくわくプログラム)

2024/07/11

今年は「東京すくわくプログラム」を始めています。保育園ではたくさんの活動が同時にいろいろ動いているのですが、大きくは三つのテーマにスポットを当てて、継続的に取り組んでいこうと考えています。その一つはこれまでも取り組んできたダンスです。ダンスというと、実に様々なものがあるわけですが、当園ではコンテンポラリーダンスを4年間続けてきたので、その強みを活かして、身体と環境(他者や空間や音楽も含む)の様々なかかわりの側面にスポットを当てます。

講師は皆さんご存知の青木尚哉さんです。赤ちゃんから年長さんまで、発達に応じたプログラムを開発してくださってきたので、これをさらに良くしていきながら、進めていきます。今日は昨日10日に行った活動を、青木さんを交えて振り返りました。昨日のダンスは動画や写真で記録しているのですが、これを元にできるだけ全職員で共有していきたいので、今後の進め方も含めてクラスごとに話し合いました。

今日の振り返りの目的は大きく二つありました。一つは「子どもの経験している意味」について、保育士からみえていることと、ダンサーの青木さんからみえていることを交流し合うことです。

子どもの気づきや試行錯誤の様子をどのように捉えたか、それを出し合うことで、子ども理解を深め、次の活動の手立てや方向性を明確にできます。今日はいろいろな視点が交わされたのですが、やはりもっと掘り下げてみたいのは「身体的コミュニケーション」とでも言ってよさそうなところです。

青木さんの言葉では「関係性遊び」という表現をされていました。「マネキンとデザイナー」は、一方がマネキンになってデザイナーが10回のカウントのリズムに合わせて、手足を1箇所ずつ動かしていく遊びです。手や頭や腰や足をゆっくりと優しく動かすのですが、その時に、動かしてもらうマネキン役も動かすデザイナー役も、相互に協働して動かしているのです。能動的に動かす方と受動的に動かされる方という区分ではなく、そこに身体を通じたコミュニケーションがあって、「こっちに動かしてみよう」「あ、そっちなのね、いいよ」という了解し合う意思疎通が生じています。

園生活には多くの身体的な接触があります。抱っこやおんぶ。膝に座ったり側にいたり。じゃれあい遊びや鬼ごっこのタッチや手繋ぎ。いろんな場面でいろんな接触があるのですが、幼児なら改めて自分やお友達の「からだ」にもっと意識的になってみること。手で腕を「触る」ということと「掴む」ことと「押す」ことは違う、そういうことも含めて体験していく遊びになっています。

乳児の場合は、先生や友達との心理的な距離や大人が醸し出す雰囲気、また好きな歌やダンス、なりきり遊びの種類などによって様々な体の動きが生じています。

もう一つ、どのクラスでも話題になったのは、これまでもそうだったのですが子どもによって「あ、それ面白そう」と思ってやることが異なっていること。この活動には赤ちゃんから年長さんまで、実に多くの動きや身体的接触のバリエーションがあるので、子どもから見た時の「面白そうだからやってみたい」と意欲的になるものと、そうでないものが含まれています。その選択は基本的に自由にしています。そばで見ている、別場所で遊んでいる、でもその時だけは参加する、といったことができることが前提です。

そこで、「もっとやりたい、今度はこうしてみたい」という子どもたちが多いので、その機会を増やして深まっていくように、活動プランを少し練り直すことになるかもしれません。例えば、その時の子どもの意欲を見て、小グループでの選択活動が週案に入ってくるイメージです。

また関わり方とその意味を深めるために、青木さんからまとまった時間を使って研修会を開きたいと思います。これには保護者の方も興味がある方は一緒に参加してもらおうと思います。できれば、小学校の先生もご招待したい。

そしてこれらの活動の振り返りは、資質・能力の三つの柱で子どもの姿を捉え直していくことになるのですが、非認知的能力でもある「学びに向かう力」の、いわばエンジンになるところがパワーアップしていくようになるといいな、と思います。探究の意欲が、いわば「身体的な関わりの美に向かう活動」の一つになっていくように。

かるたづくりで、ことば遊び 【10の姿 8数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚】

2024/07/09

幼児クラスでなぜか先週から始まったカルタ作り。まず絵が完成。

そして、今週は読み札を作りはじめ、月曜と火曜で完成したようです。

「とけいはいろんなすうじがあるよ」「わたあめはくちのなかでふわふわする」「すいかわり じょうとそうまがわったよ」「たこはにんげんをまきつけちゃう」「そうめんはおとまりかいにたべるよ」・・

この活動を紹介している担任のコメント。

「Fちゃんが読み札作りをしているのを見て、Yくんもやりたいとやってきました。初めは、文字を書くことが難しく、大人が書いていたのですが、しばらくすると。

・・ひらがな表を見ながら挑戦。読み札は、その子らしさが出ている表現が多く、とてもほっこりしました。」

あの赤ちゃんだったこの子たちが、いつの間にか話せるようになり、絵本や紙芝居を読むようになり、そして今はひらがなを書き始めています。聞いて話して読んで書く。聞いたり話したりは、現在に現れて、すぐにに消えていきますが、読み札を読んでいると、文字は時空を超えた世界の出入り口になっているように思えますね。

⑧数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚

 

 

カブトムシをA保育園へお届けに

2024/06/19

保育園で生まれたカブトムシをアイグラン保育園東神田にプレゼント。気温が上がらないうちに、子どもたちと届けに行きました。

とても喜んでもらえたようです。届けに行った、喜んでもらえた。そんな満足感があったようで、帰り道は足取りも軽かったようです。

これまで公園で出会うことはありましたが、保育園の中には入れてもらったのは初めて。こんど一緒に遊ぼうと約束してました。和泉小学校で一緒になる子もいて、就学に向けて仲良くなれるといいですね。

バットの音の違いを面白がる子どもたち

2024/06/17

今日もいろんな遊びの姿が報告されています。写真付きの説明でだいたいのことは想像がつきます。乳児から幼児までそれをみていると、子どもの躍動的な姿を生み出している仕組みのようなものを、どう汲み取って表現したらいいんだろうと考えます。とくに活動のうねりのような中で見せてくれる、ちょっとした道草のような遊びの楽しみ方、遊びの中に垣間見えるひねりのような面白さを、ちょっと拾ってみましょう。

 

きっかけは「探究」という言葉で指し示すことができることを探しています。すると遊びそのもののなかに、あの課題解決プロセスに似たところは探究と呼んでもよさそうだと思えてきます。たとえば幼児クラスの日誌には「運動ゾーンではらんすいを中心に「音」に注目が集まり、バットを色々な物で試してみる姿がありました。」と、次のように写真とコメントが書かれています。

・・・・・・・・・・・

いつもはサランラップの芯をバットにしているのですが、ボールが真ん中にあたると、「いい音がする!」とRくん。

色々な物をバットに見立て、どんな音がするのかの探求が始まりました..!お部屋の中を探し回り、バットになりそうなものを見つけ始めました。

「ペットボトルは音が当たると大きい音がする!」

「カーンって音がする!」

「あれ?音がならない?!」

「これはどうかな?」

「みんな静かに~耳を澄ませて~」とLちゃん。色々な音の違いを楽しんでいました。“音“との出会いですね。

・・・・・・・

野球ごっこは、このところ、かなり長く期間続いている遊びなのですが、日によって変化してきています。面白いことが、変わっていくのです。それはきっと好奇心というものの、特性でしょうか。それまでとは違うもの、新しいものを面白いと思い、それを取り込んで変化していくのでしょうが、今日はバットに玉が当たるときの「音」の違いを面白いと感じて、それを何人もが共有しているというのですから、ここには同じものを共にして楽しんでいるという、仲間意識も感じます。また同じ面白さを共有しているという暗黙の静かな探究心の交流のような空気も感じます。野球の遊びで、そんなところに興味が向かうものなんだ、面白いもんだなあと思います。

子どもの自己発揮を充実させる保育をつくる

2024/06/11

昨日と今日は全国の園の主任クラスが集まって学び合う研修会でした。

参加する前に、各園の課題を出してもらい、それを大まかに分類すると「リーダーのあり方」「人材育成・研修の方法、理念の浸透」「チーム保育」がスリートップで、1月に開催した時と同じ傾向でした。

研修会は子どもの権利条約、子ども観の変化、子どもの主体性を大切にした保育についての講義を受けて、その後、実践発表を聞いてグループディスカッション。活発な議論が交わされた充実した二日間でした。

子ども文化の知を経験すること

2024/06/10

今日からギビングツリーの「リーダー研修」が始まりました。その参加者が5人見学にいらして「子どもたちが自分たちでどんな風に生活をつくっていっているのかをみたいです」とのこと。子どもの「意見表明」「参画」が乳幼児の場合はどういうことになるのか、そうしたテーマが今回の研修になっているからです。半分冗談で「カブトムシの意見も子どもが尊重してますよ」「カブトムシもエイジェンシーなんですよ」と言いながら、園内を案内しました。

自然界の知覚と行為のシステムのなかに、人間の表象やシンボル体系がどう位置づくのか、この1年ほどでしょうか、時々その疑問を思い出すことがあります。私たちは日常生活のかなで「物の世界と精神の世界」を二分して使い分けるということを、何の疑問も持たずによく活用しています。デカルト的二元論。物と心。また、それと近い問題意識として子ども集団、子ども同士の関わりのなかに蓄積されている知というものがあって、子どもたちは取り出して活用しているといってもいいんじゃないか、ということを考えたりしています。

たとえば今、ある子どもたちにとってカブトムシが保育室のなかにある環境知として大きな意味を占めているのですが、その意味は子ども集団によって蓄積されていく違いや変化があります。私が八王子にいたとき、歩いて行ける場所にカブトムシがいたので、毎年捕まえてきては子どもたちが観察したり育てたりしていました。ある朝、3歳児クラスの子たちがカブトムシの入ったケースのふたをあけてさわっているとき、蓋をしないとにげてしまうと主張する子がいて、蓋をする、しないでもめていたのです。

すると担任はその様子をみながら、そばで別のことをしている年長のRくんに、カブトムシ騒動の方へ注意を向けさせると、Rくんはすぐに先生の意図を察して近付いて行き「昼間はにげないよ」と教えてあげたのです。すると「(へえ、そうなんだ)」という風に、いざこざは静まったのです。カブトムシは夜によく活動するから、昼間は飛んでいったりしない、ということを知っているのです。

そのようなことが毎年繰り返されている異学年が混ざって暮らす集団には、そのような子ども文化が伝承されていくもので、その知恵たるや広範囲に及びます。実に様々な知恵がつもり、成長していったように感じます。起きている子がうるさいと寝ている子が起きるから「しずかにして!」と子どもが子どもに伝えていましたし、食事のセミバイキングもよそってあげるのは当番の年長の子どもでしたが、食べ始めるタイミングをめぐる話し合いでは、当番の子どもたちの意見が尊重されていました。それに引き換え、いまの千代田せいが保育園は、まだその子ども文化の伝承があさく、新しい知恵をスポンジのようにぐんぐん吸収しているように感じます。

昨日の話の続きをすると、精神間機能から精神内機能への2つのルートには、子ども同士、子ども集団がつくり出す場についてのルートはどれくらい想定されているんだろう? そんなことを考えながら、この研修に参加しています。大局的な議論と緻密な議論を組み合わせたいという思いで。

 

退院してきたお友達を迎えて

2024/06/01

(園だより「巻頭言」6月号より)

「ねえ、一緒に遊ぼう!」「遊ぼう、遊ぼう」ー。歩行用の装具を右足に取りつける彼を取り囲んでいます。口々に言っているのが、この言葉でした。着いたよ、の一言で3階から駆け降りてきた子どもたちです。歓迎の気持ちがそんな言葉と行動に現れていました。

何人もの「遊ぼう。遊ぼう」の言葉に前に省略されているものをあえて想像で補足すると(やっとこの日が来たね。ZOOMで約束したように)「一緒に遊ぼう」とでも言っていいでしょう。昨日の「職員室だより」でお知らせしましたが、彼はある病気の治療のために入院して治療を受けていました。面会ができないので、病室と園内をオンラインで繋いで子ども同士のかかわりを持っていたのです。

親御さんと一緒にこの姿に接して、いろんな意味で「よかったあ」と胸が熱くなりました。自分だけどうしてこんな目に遭わなければならないのかと悲しく悔しい思いもあったでしょうし、友達とあったりするとかえってその気持ちを強くしてしまわないかも心配しました。でも親御さんが本人の気持ちを確認しながらZOOMで繋いだ時も、先日の親子遠足で参加した時も、それが前向きな気持ちを産んで、張り切ってリハビリに取り組んだそうです。

そして、退院というこの日を迎えることができました。黙々と装具をつけたり外したり、どんどん自分だけで室内を歩いていく姿を目にしてすごい、と思いました。私の予想をはるかに超えた先を彼は歩んでいます。心配したことを見事に打ち破ってくれました。私でさえそう思うので、ご両親にとってはひとしおでしょう。この病気では退院までの最短記録だそうです。

さらにもう一つ、子どもたちの再会を喜ぶ姿も私たちは嬉しかったのです。しかも「一緒に遊ぼう」という言葉になるところが、いい。やっぱり、遊びです。そして一緒に遊ぼうという、その一緒に、のところ。彼はずっと黙っていましたが、どう感じていたでしょうね。仲良しのRくんとはふざけて叩き合いごっこのようなことを長い時間やっていました。立ったり座ったの動作も自分で椅子や机の使い方を工夫しています。それを周りで手伝う子もいます。

昼食を2階のダイニングで食べるとき、ある子二人がテーブルを寄せて大きくして、彼を囲んで食べるようにしたのです。彼らの中から生まれたアイデアです。座る椅子が足りなくなると、お盆を詰めて寄せ合っていました。お父さんはちょっと離れたテーブルで見守って食べています。園生活の大事なところは子どもたち自身がつっているということを実感します。

 

2歳と3歳の同型的行動に見られる親密さ

2024/05/29

こんなブログが29日の1歳児クラスに載りました。私が今関心のある「同型的行動」の事例として、紹介したくなりました。内容は1歳児クラスでこの5月に満2歳になったHくんと、3歳児クラスのAくん(3歳5か月)との仲良しぶりを描いたエピソードで、28日(火)の夕方のことです。す。クラスが違っても自由な交流が発生しやすい生活にしてあるので、こんな光景が生まれたようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・

きのうの夕方、わいわい組のAくんが、ぐんぐんのお部屋に遊びにきてくれました。

Aくんとニコッと笑い合うと、Hくん、なんだかそこから心を掴まれたようす…。気が付けば、Aくんと一緒に遊び始めていました。笑顔のパワーは、すごいものです。

真似っこして、ごろ〜ん。ふたりで顔を見合わせてケラケラ笑っています

↑Aくんが、ジャンプして、壁に貼ってあった食べ物のイラストをゲットする遊びを始めました。Hくんも、一緒にジャンプ!でも、届かないので、Aくんが取ってくれます。どれが欲しいのか、ちゃんと聞き取りながら、取って渡してくれる、Aくんです。

バナナとオレンジも取れたよ〜

 

たくさんの食べものが取れたから、お皿にのせて、運びたいようです。

Aくんが、Hくんに「Hくん、これとこれ、持ってきて〜」とお願いしています。Hくんが、どれのことか分からなかった様子で迷っていると、戻ってきて、一つひとつ丁寧に教えてくれるAくん。

(これのことか!)と分かったHくん、一緒にお皿を運びます

Rちゃん や Lちゃんにもおすそ分け

「いただきますをします、用意はいいですか〜」とAくんの掛け声で、みんなでごはんの時間のようです。

それから、こんな遊びも・・・

Aくんが持っている太鼓に届くかな?とジャンプしてタッチする遊びのようです。

「こんどはHくん」と役割交代です。Hくんも、Aくんの真似っこをして、太鼓を掲げます。

Aくん「もっと高くして〜」

Hくん (・・・こうかなぁ…)

と、一生懸命な姿がかわいかったです^^

ぐんぐん(1歳児)の子どもたちの中に、ふわりと溶け込んで一緒に過ごしてくれたAくん。その自然な空気感が、ぐんぐんさんにとっても、心地よかったみたいです。

 

今朝、ふたたびAくんがお部屋に遊びにきてくれました。すっかりAくんに懐いていたHくん、さっそくAくんの元へ行って、一瞬に遊んでいました。

↑きのうの続きで、食べもののイラストをゲット。そして、キッチン台でお料理していました。

思えば、普段、わらす組(3~5歳児)のお兄さんお姉さんと関わる時間がまだ少なかったぐんぐんの子どもたちでした。
ときどき、「ダメ〜!」と言い合って涙したりぶつかったりもあったけれど(笑)、それでも、こんなふうにやさしく接してもらったり一緒に楽しい時間を過ごして、年上のお兄さんに、憧れの眼差しを向けながら信頼を寄せていく姿が印象的でした。

Aくんもまた、(わらす組内ではいちばん年少のクラスであるけれど、)ぐんぐんの子どもたちと過ごしているときは 頼れるお兄さんらしい姿を見せてくれて、成長を感じました。
こうして、いつもクラスの子どもだけで過ごしているとなかなか見られない姿を、お互いに引き出し合っていく関係性が、なんとも微笑ましくて、そんな出会いをたくさん作っていけたら良いなあと、改めて思ったのでした。

おもっきりの「きゃ〜!」が訴えてくるもの

2024/05/28

「キャアアアアア〜」「キャアアアアア〜」。文字にすると、多分「叫んでいるだろうな」と思わせる文字列だけですが、実際には耳をつんざくような、あの子どもだけが時々やる、裏声の甲高い「きゃ〜!」です。想像できますか?昨日の朝のことですが、それを3歳児クラスの◯さんと◯くんが、交互にやっていたのです。何をしながら声を出していたか、というと、それぞれ狭い場所に隠れて、そこから「あ、見つかちゃった!きゃ〜!」という、ごっこあそびを二人でやっていたのです。

(写真は別の子です)

多分ですが、まるで「かくれんぼ」で鬼に見つけられた、その最後の瞬間のところだけを、何度も何度も二人で繰り返しています。つんざくようなぎゃ〜は、3階のフロアのどこにいても聞こえるくらい、ボリュームがあって、音量だけなら何dBになるかわからないくらい(多分工事現場のダダダ〜ぐらいはあるでしょう)の「騒音」です。外部の第三者から「わあ、うるさ!」と思われて終わるかもしれません。

でも二人は、柱と壁の流しで区切られた隙間とか、カーテンの裏とか、折り畳みクッションの隙間とかに入り込んでは、実際にはいないのですが、あたかも鬼に「み〜つけた!」と言われた瞬間を、そこだけを拡大再生させるかのように、思いっきり張り上げた声で「ぎゃ〜」と繰り返しています。いちいち、どこかに隠れてからやっているので、多分見つけられるまでの、隠れているドキドキ感や見つかった時の、軽い恐怖感?を何度も味わいたいという面白さがあるからでしょうか。

(写真はこのときの子ではありません)

実際のところ、園全体を使った大掛かりな「かくれんぼ」は何度かやったことがあって、その時の楽しかった経験があるのは間違いないでしょう。お迎えの時にトイレの前の荷物の裏や、事務所のアコーディオンカーテンの裏に隠れて親に見つけてもらう、ということを楽しむ子どもも何人もいます。

でも、これだけ大きな声を、しかも思いっきり吐き出すかのように叫んでいるのは、ただ「かくれんぼ」的な遊びが面白いだけではなく、何か自分の中にある気持ちを吐き出したいようにも見えてきます。どうしたの?と気にかけてもらいたいわけでもありません。二人で繰り返し楽しんでいるので、二人の間に仲間意識はありますが、声でも言葉でもない腹の底から思いっきり脳天まで貫通させたいような、鋭い声なのです。

その声を文字にすると「きゃ〜」なのですが、実際には「イ」という母音の持続的な音を前面に感じるのです。その身体的な音は、ある種の意志や瞬発性や鋭利さや否定性を持った響きです。

余談ですが、人間の発する母音には、それぞれ身体的な意味合いがありそうです。(そのあたりはシュタイナーの言語学やオイリュトミーにも詳しく展開されていますが)たとえば朝日がのぼるような開かれる明るい感覚は「あ」の音、警戒して内に篭るような情動は「う」の音、驚きや不思議さは「え」の音、感嘆や感動などの気持ちは「お」の音から感じることができます。動物もそんな声を出してますよね。犬が警戒して「う〜」と唸ったり。

そこで、どんな感情の時に「い」を出しているかというと、刀を「えい」と振ったりするときのように、自分のいる場や空間を切り拓いて、外の世界に切れ目を入れていくような、そういう動きに似た印象を持っています。あくまでも個人的な印象ですけれども。

というようなことを色々感じるのですが、二人はその「きゃ〜」を交互に響き合わせることで、何か同じ気持ちを分かち合っているように見えるのでした。その辺りを普段から一緒に生活している身近な大人がどう感じているかを重ね合わせてみたいですね。

子どもたちが、関係性の中で引き出し合う姿

2024/05/28

きのうの夕方、わいわい組のあきとくんが、ぐんぐんのお部屋に遊びにきてくれました。

あきとくんとニコッと笑い合うと、はるきくん、なんだかそこから心を掴まれたようす…。気が付けば、あきとくんと一緒に遊び始めていました。笑顔のパワーは、すごいものです。

↑真似っこして、ごろ〜ん。ふたりで顔を見合わせてケラケラ笑っています。


↑あきとくんが、ジャンプして、壁に貼ってあった食べ物のイラストをゲットする遊びを始めました。はるきくんも、一緒にジャンプ!でも、届かないので、あきとくんが取ってくれます。どれが欲しいのか、ちゃんと聞き取りながら、取って渡してくれる、あきとくんです。

バナナとオレンジも取れたよ〜

 

たくさんの食べものが取れたから、お皿にのせて、運びたいようです。

あきとくんが、はるきくんに「はるきくん、これとこれ、持ってきて〜」とお願いしています。はるきくんが、どれのことか分からなかった様子で迷っていると、戻ってきて、一つひとつ丁寧に教えてくれるあきとくん。

(これのことか!)と分かったはるきくん、一緒にお皿を運びます。

りなちゃん や りのちゃんにもおすそ分け♪

「いただきますをします、用意はいいですか〜」とあきとくんの掛け声で、みんなでごはんの時間のようです。

それから、こんな遊びも・・・

あきとくんが持っている太鼓に届くかな?とジャンプしてタッチする遊びのようです。

「こんどははるきくん」と役割交代です。はるきくんも、あきとくんの真似っこをして、太鼓を掲げます。

あきとくん「もっと高くして〜」

はるきくん (・・・こうかなぁ…)

と、一生懸命な姿がかわいかったです^^

ぐんぐんの子どもたちの中に、ふわりと溶け込んで一緒に過ごしてくれたあきとくん。その自然な空気感が、ぐんぐんさんにとっても、心地よかったみたいです。

 

今朝、ふたたびあきとくんがお部屋に遊びにきてくれました。すっかりあきとくんに懐いていたはるきくん、さっそくあきとくんの元へ行って、一瞬に遊んでいました。

↑きのうの続きで、食べもののイラストをゲット。そして、キッチン台でお料理していました。

思えば、普段、わらす組のお兄さんお姉さんと関わる時間がまだ少なかったぐんぐんの子どもたちでした。
ときどき、「ダメ〜!」と言い合って涙したりぶつかったりもあったけれど(笑)、それでも、こんなふうにやさしく接してもらったり、一緒に楽しい時間を過ごして、年上のお兄さんに、憧れの眼差しを向けながら信頼を寄せていく姿が印象的でした。

あきとくんもまた、(わらす組内ではいちばん年少のクラスであるけれど、)ぐんぐんの子どもたちと過ごしているときは 頼れるお兄さんらしい姿を見せてくれて、成長を感じました。
こうして、いつもクラスの子どもだけで過ごしているとなかなか見られない姿を、お互いに引き出し合っていく関係性が、なんとも微笑ましくて、そんな出会いをたくさん作っていけたら良いなあと、改めて思ったのでした。

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