MENU CLOSE
TEL

STEM保育・自然科学

すずむしの「お すそ分け」

2023/06/05

たくさん生まれた「すずむし」のおすすわけ。保護者の皆さんもいかがですか。まだ小さいのですが、時期に大人になって鳴き出すでしょう。カゴをお持ちください、昨年に引き続きお分けします。5月25日には姉妹園の「新宿せいが子ども園」へ持っていきました。先週2日には、近所の保育園に声を掛けたら「ぜひ」というのでお持ちいただき、今日5日は飯田橋にあるこども園へプレゼントしました。

だんだん大きくなっていく虫の成長を子どもはよく観察しています。どこにいるのか、どんな風に動くのか、触覚だけが白くて目立つことや、ときどき噴霧器で湿気をあげないといけないことなどを知っています。この園で産んだ卵が孵った3代目のすずむし。鈴虫が何はじめるのを「待ち遠しく待つ」という子どもたち。こういうのを気長に待つというのは、なかなかない。この園の特徴になるかもしれませんね。

STAM教育の芽生え(わらす)

2023/05/17

時が流れるのは早いものです。子どもたちが進級してから、あっというまでした!子どもたちみな、お兄さん、お姉さんになる喜びを噛みしめながら、先月、進級を祝う会から一か月です。

さて、今回は、今注目されている、STAM教育の芽生えを紹介したいと思います!一般的には、STEAMですが…

それはさておき、理工系の教育に力を注ぐことで、現代社会に対応できる人材を育てるこの教育ですが、そもそもSTAM教育とは、単に知識を身につけることを目的としているわけでなく、科学、IT技術といった世界共通の言語を身につけること過程で、自分の興味の方向性を知ったり、発想力を育むことが、この乳幼児教育には大事とされています。子どもの「好き」を育てる。これこそが、昨今話題になっている。

非認知能力の育成とも言えるのではないでしょうか?

幼児教育に欠かせないのが、おもちゃです!!このおもちゃを取り入れて、子どもの好奇心、探求心を助長させていく事が、STAMの芽生えだと思います。

子どものおもちゃとの付き合いの中で、遊び方が個々にあります。保護者の方々も、家庭でこう遊んでほしいのに、こう遊ぶべきなのにと考えた事は、多々あると思います。

しかし、子どもが意図して遊ばない場面に遭遇したことがあるのではないでしょうか??

子どもは遊び方に決まりといったことはなく。自由な発想をもって、時には大人を驚かせることがたくさんあります。

おもちゃは、手先の巧緻性の発達を促したりしてくれる側面もあります。まずは先入観を捨てて、どう、遊ぶのかを見守るのも一つだと考える今日この頃です。

そういう風な場面に出会ったその時が、子どもが主体的に遊んでるいるということにもなるのかとおもいます。

前置きが長くなりましたが、わらすの子どもたちに、私たち大人が理科の授業で使った、おもちゃの、試験管!ビーカー、フラスコ、メスシリンダーのようなものを渡してみました!

(このバケツの水どのくらい入ってるのかな??の実験!小さい、試験管、ビーカーを使って!)

から始まりました!何度も小さいビーカー、試験管を使って、バケツの水からすくっていきます!

ここで、こんな声が!このバケツ一杯にたまるのはどのくらいなんだろ??小さい入れ物感覚で使っていただろう物に対して、この表現から読み取れるものは、「mathematics」数学的表現です。体積。何杯いれたらたくさんになるのだろうということですね。乳幼児教育では、この好奇心、探求心がSTAMと言えます。幾何学の部分にも通じてくるのではないでしょうか?次に…

(たくさんの物をいれている理由とは?)

水の浮力です!科学ですね!なんで、これは水に浮くのにこれは浮かないのだろう??この疑問が子どもの気づきで、乳幼児教育のSTAMに至って大事な要素だと思います!

このとき子どもたちから、このような表現が、先生!!これ使っていい??ままごとに使っている、スプーン等色んな物を持ってきます!

正直、保育者からしたら、あーあーという場面でもありましたが、子どものやりたいを尊重していきます。何が、水に浮くのだろう??ちなみに積み木、鋳型ブロックも浮かべてみました(笑)

積み木は浮かない。鋳型は浮く。スプーンも浮く!これも、これも!とたくさんのアイテムをもってきます!興味、関心が凄いです…

子どもの心を育むおもちゃとの付き合い方を、STAMを通して感じた時間になりました!

好奇心が物凄く、さまざまな体験をする事が、非常に重要で、色んな物に対しての世界を知るきっかけになるのも、乳幼児教育の醍醐味なのだと感じさせてもらった一瞬でした!

補足で、幼児クラスだからということではありません。私が一歳児の散歩にいった場面です。この時に子どもたちが行った行動が、、、

(保育園周辺散歩において、近くのホテルの駐車場に向けて声をあげる)

普段歩いている、散歩道。保護者の方もたくさんの地域を歩いていると思います。その一場面です。ホテルの前を通りかかりました。その時です!子どもたちが、いっせいに「あーあー」と叫びました!そうすると、音の反響ですね!声が壁にぶつかり音が反射した現象なのでしょうか。大人ならわかる事象ですが、こういう小さな所からも、学んでいます!!

これからも、子どもの好奇心を駆り立てるような日々の保育を模索していきたいと思います!!

シャボン玉〜とんだ〜♪

2023/04/20

まつるくんが先週からやりた〜い!と言っていた巨大シャボン玉づくり 本日、行いました!

ワイヤーを好きな形に曲げ、包帯をぐるぐる回りにまいていきます。

 

つくったあとは、屋上にあがって実践..!

シャボン液作りの配合が絶妙に難しく苦戦したのですが..

・・・できた!!

それぞれ、色々な不思議に出会っているようでした!

またやりたいと思います!

初めて咲いた「桃の花」

2023/03/27

3月20日(月)。東京は桜の開花が例年よりも10日ほど早く、ニュースになりました。それと同じタイミングで、実は保育園でも「開花」したのです。お気づきでしたか?

令和元年の春、正確には平成31年の3月。開園を記念して花壇に植えた2本の木。一本は「みかん木」で、もう一本は「ももの木」でした。みかんの木は、すぐに「はらぺこあむし」の棲家になりましたが、ももの木は、ずっと沈黙を保っていました。ところがついに今年、花を咲かせたのです。我が園にもついに春の訪れを知らせてくれるシンボルツリーが誕生しました。4年ぶりです。しっかり命は生きているんですね。

なが〜い、もの。新奇なもの好き。

2023/03/02

1センチ四方ぐらいの小さいパズルのコマを、一列に長く繋いで遊んでいます。パチパチと繋いでいろんな形のものを作ることを楽しんでいるのですが、こうやって、ただひたすら長くすることが面白いという時があります。

こういう新奇性への興味は、子どもに強く感じるときがあります。大人になると何かと常識的なもの、ある種の枠のようなものが強くなってしまうのですが、子どもは時々、思いもよらぬものを作り上げたりします。人が驚くようなもの。

ある種のはみ出したがるような傾向。奇抜で「かぶく」(歌舞伎の元になった)ような要素。カイヨワの分類なら眩暈に近いもの。・・・?どんな意味があると言えるのでしょうか?

自覚的学びへの移行について

2022/10/29

今日はずっと「自覚的学び」への漸進的移行の保育事例を探して過ごしました。そして気づきました。これだと。そしてもう一つの疑問も解消しました。無藤先生の指南のおかげです。それを説明します。

昨日27日午後、交流している他園の先生たちとSTEM保育の勉強会をズームで開き、こんな試みはどうだろうと事例を出し合ったのです。主に光や色、鏡、匂いなど「面白さや不思議さ」から試行錯誤する様子がたくさん報告されました。

その中で「幼児はわかりやすいが、乳児の場合はどうなるのか」が疑問になりました。過去の経験との認識のずれのようなものが「あれ!」という気づきや疑問を生み、どうして?と追究するのでしょう。しかし乳児から幼児前期ごろまでは、自分が「わからないことが分かっていない」ので、外界への問いかけが生まれません。

私はこんな例を出しました。拾ってきた石を洗っていたら、軽石が何個かバケツに浮いているのですが、その3歳児は不思議に思わないという例です。先行する経験の累積的記憶がないと矛盾なり新奇性なりの面白さを感じる認識を持てないのでしょう。これがだんだんと認識的に発達していくと「自分がわかっていないことに気づき、その分からなさに向けて理解を進める営み」としての自覚的学びが始まるというわけです。

例えばその勉強会で報告された事例は「白い花に色水を吸わせると、色がつくのとつかないのがあって不思議がっていた」「浮く沈むの実験に夢中になっていた子は、ちょっと時間があると自分から、これはどうなるだろうと、水槽に水を汲み、芋掘りで取ってきたさつまいもを入れて確かめている」。こういう姿は幼児後半です。

さて、もう一つの「納得的気づき」は、小学生の「自覚的学び」になっていない学びの例です。101日に南アルプス市の「南アルプス子どもの村小中学校」を訪問した時、堀真一郎さんが、こんな小学生にしてはいけない、という例を話されました。こんな算数の問題がわからないという子です。

「旦那さんは1980年生まれ、奥さんは1982年生まれ。二人の年齢の差はいくつでしょう」という問題。その子は「年齢の差を出す出し方は教えてもらっていないからわからない。教えて」と言ったので、堀先生が「そのわからないことを考えるのが、この学校だよ」と答えたら、「ケチ」と言われたそうです。

私はこのような学び方が、勉強に向かっているから「自覚的学び」のようでありながら、本質的な学びではないと考えてしまっていました。そうではなく、これは自覚的な学びになっていないことになります。なぜなら「自分で分かっていないことに気づいていない」からです。

能動的注意が自分の「わからなさ」に焦点化されていないから、と言っていいのでしょうか。理由や論理性のない理解が、ただ正解を解く方法の暗記になってしまっている学習が多くないか、それが学びを面白いものに感じることができず、成績も不振になって学校へ行く動機を見失う、そんなことも不登校の要因の一つなっている可能性は、やはりあるでしょう。

セキセイインコとの出会い

2022/10/12

セキセイインコにオヤツをあげると、上手に啄みます。子どもがそうすると「かわいい〜」と、もう夢中です。

何かをやってあげて、それを喜んでくれると、やってあげた方はまた嬉しい。そのやりとりを見ていて、子どもはケアされたがっているだけではなくて、ケアをしたがっていということがよくわかります。

今日12日は「お手伝い保育」を楽しみにしている年長さんたちですが、3階の観察ゾーンに生き物のお世話ができる場が増えました。

知らない生き物と出会うたびに、それをじっと、よく見ようとします。と同時に触りたがります。子どもにとって対象を理解するということは、頭でわかるのではなく、感覚で取り込もうとします。なので「触ってみたい!」「だっこしてみたい!」と言っていました。

初めてものへの接し方、近づき方も色々です。エルサになっている子は、魔法の杖を鳥籠の上をクルクルと回してみて様子を見ようとします。インコが怖がることを教えてあげますが面白いから続けてしまいます。インコは新しい場所で緊張しているでしょうし、ストレスもあるので、大人はそんなケアを優先します。動物が「嫌がっているよ」、「怖がっているよ」は、伝えてあげます。子ども同士のトラブル場面とも似ています。

そのあと、段々といろんな興味が湧いてくるようで、子どもたちは何を食べるんだろう?水飲むかな?(毛繕いをみて)痒いのかな?このおもちゃで遊ぶかな?・・と「?」がいっぱいになります。

大人はつい、どうしたらいいのかを知っているので、いろんなことを先回りしがちなのですが、こんな時にも、動物にとって過剰なストレスになったり、けがをしたりしない限り、子どものペースで出会わせてあげたい、と思います。

すいすい〜花の植え替えと野菜のお土産

2022/09/30

大丸有というエリアをご存知でしょうか? 今日9月最後の30日は、年長のすいすい組が、この大丸有エリアまで歩いて出かけて「花壇の花の植え替え」をしてきました。歩いて片道30分かかりますが、さすがに年長児、往復60分以上の散歩をこなすことができました。花壇の花の植え替えは、今年の親子遠足(雨の中の屋形船乗船)の時に、佐久間橋児童遊園の花壇のアダプトとして、花のポットを花壇に植える体験をしましたね。あれと同じようなことを、すいすい組で体験してきました。

大丸有(だいまるゆう)とは、ウィキペディアによると、次のような説明がなされていました。

「東京都千代田区にある大手町・丸の内・有楽町の3町域を合わせたエリアであり、東京を代表する一等地である。このエリアは大企業の本社ビルが集積しており、日本最大規模のオフィス街・中心業務地区(CBD)を形成している。皇居の東~北東側に位置し、東京駅(丸の内)や大手町駅周辺では大規模なビジネス街が、有楽町駅周辺ではオフィスビルや大型商業施設、劇場や映画館などが集積しており、銀座の繁華街とも隣接している。東京駅界隈は三菱財閥がイギリス・ロンドンのシティを模範としたビジネス街として開発を行ってきた歴史を持つことから[1][2]、現在でも三菱地所が多くのオフィスビルを所有しており、丸の内一帯は「三菱村」とも呼ばれている」

私は、このエリアとの接点を増やしたいと思っています。この地域が来年度以降の「千代田せいが保育園」の教育活動を展望する上で、中央区の八重洲の再開発を視野に入れながら、いろんな意味で重要になっていくという予感があります。今日の活動は3月のホタル放流体験に続く2回目なのですが、せっかく「エコミュージアム」という場所と機能ができているので、子どもたちの「自然体験」をもう少し、本格的な学びの詰まったプロジェクトに発展させるための提案を企画側へ、したいと思っています。

 

 

事務所での「お手伝い保育」

2022/09/28

9月20日に今年度のお手伝い保育について、年長組(すいすい組)が話し合いをしています。わらすのクラスブログをご参照ください。そして今日28日(水)、その1回目の「お手伝い保育」が始まりました。

この「お手伝い保育」とは簡単にいうと、年長さんが、ちっち組(0歳)ぐんぐん組(1歳)にこにこ組(2歳)のお部屋に別れて、一緒に過ごす活動をいいます。お兄さん、お姉さんとして小さい子どもたちのお世話をしたり、遊んであげたりします。大家族のように過ごすのです。詳しくは、2019年10月20日の「園長の日記」をご覧ください。その歴史や意味を解説しています。

子どものいない事務所では主に3つのことをします。金魚やプランターのお花など生き物のお世話(水替えや水やり)、ペーパータタオルの補充や玄関の掃除、そして乳児室で「使う手作りおもちゃづくり」などです。

今日は玄関のプランターの花の植え替えをしました。その後は、屋上にいる虫探しを手伝ってもらい、その後は水鉄砲で遊びました。

自然との触れ合いをできるだけ増やしたいと考えているので、お手伝い保育にも、生き物との触れ合いを位置付けているのですが、ちょうど「花の植え替え」は、エコッツェリア協会(2022年3月23日の「園長の日記」を参照ください)からお誘いを受けて、今週金曜日30日にも大手町まで出かけて行います。当園の屋上にはバケツの田んぼの稲や、水桶の小さなビオトープなどがあって、そこに自然発生する水生動物を観察することができます。

水槽の中に、ミジンコのような小さな生き物がたくさん泳いでいるのを発見したKTくんとTYくん。「虫眼鏡を持ってこようか?」と、私に提案してくれるので、「そうか、私のお手伝いをしてくれていたんだ」と思い直した瞬間でした。虫探しは私がやっているんだといことを、しっかり理解していたのです。それでもよく見るためには、虫眼鏡が便利だということを知っている証拠ですね。

子どもは自然栽培の味噌の「おいしさ」がわかる

2022/09/22

今日の給食のお味噌汁は、自然栽培で作った味噌を使いました。すると、ある子どもが「おいしい」と言って、おかわりをしました。どうも子どもは、この「おいしさ」の違いがわかるようなのです。子どもの身体はまだ自然に近いので、この違いをキャッチするセンサーがあるのでしょうか。この辺りの人体をめぐる科学は、非常に遅れており、身体についてはわかっていないことが、山ほどあります。この今日22日(金)のエピソードを聞いて、次のような話を思い出しました。自然栽培で作られた作物やその発酵食品(この場合は味噌)は、私たちの人体を自然の生態系の一部に戻してくれるという話です。ちょっと長くなりますが、人体と自然との関係を考えると、うちなる自然環境は、実は胃や腸だという話に遡ることになります。

私たちの体の<内部>はどこか?というと、胃や腸は<外部>であって、内部でないと考えることができます。口から肛門までは筒になっていて、外の環境に開かれています。口から物を食べて、肛門から排泄する。その途中で色々なものを体内に取り込んで、体内から不要なものを外の出すわけですが、この通り道の筒は、体の内部ではなく外部だと考えることができます。私たちの人体を大きな一つの筒、トイレットペーパーやサランラップの芯のようは円筒だと思ってください。

その人体の円筒模型は、もっぺらぼうではなくて、ビオトープのような生態系になっています。口と肛門という蓋がつているので、空洞部分の中身は、私たちの意志で開けたり閉めたりできます。ただその円筒の途中にも、幾つも開け閉めできる門があって、その部屋は閉じられています。口腔、胃、小腸、大腸、直腸などの部屋に分かれていると思ってください。その生態系は、例えると、口腔は石畳の庭の入り口のようなもので、食道は草むらの細長い道のようなもので、その先の胃は、洞窟になっていて中はうねるような林です。

さらにその後の小腸はまるで密林のようです。その中には、色々な液体が雨のように降っているジャングルのように湿っており、いろんな生き物が棲んでいます。乳酸菌やフェカリス菌、アシドフィルス菌、ビフィズス菌など、有名なものから、聞いたこともないような不思議な菌類がいっぱい棲んでいます。

私たちは自分の胃や腸を内部だと思っているので、ちょっと見当はずれなことをたくさんしてしまっています。私たちの本当の内部から見たら、この外部である胃や腸の中を、もっといい環境にしてあげる必要があるのです。それは棲んでいる部屋の空間をよくするのと同じように、外部である胃や腸の中をよくすることが大切なのです。最近、よく言われるようになった腸内環境を良くしようというのは、このことです。

すると、腸には口から入れても実は胃のところで強酸で分解されてしまうので、ほとんどの菌はそこで死んでしまいます。先ほどの羅列した菌たちは、腸のビオトープまでは辿り着けません。では、どうやったら腸内環境が良くなるのかというと、腸内環境を含めた円筒模型の中身を、自然の生態系に戻すことが必要になります。そのために、私たちは筒の中だけを問題にするのではなくて、筒の厚さの部分、つまり私たちの肉体、身体そのものを、内側から自然なるものに作り替えていく必要があります。その方法は、自然栽培の世界と私たちの身体を繋いでいくことなのです。

 

top