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園長の日記

にこにこ組でも始まったセミバイキング

2024/09/10

いっぱい?それとも、ちょっと?

どっちがいいかなぁ?と自分が食べれそうな量をよそってもらうセミ・バイキング。

【・・にこにこ組でも食事のセミバイキングを始めています。今まではそれぞれの食事を運んでいたのですが、「いっぱいにする?」「ちょっとにする?」と大人とやりとりをしながらもらっています。

はじめは、運ぶ子ともらいに行く子が重なってしまうこともありました。日々やってみる中で、子ども達の方から足跡のある場所で並んで待っていたり、こぼれてしまったりという経験をしながら一つずつ食事の流れが身についてきているようです】

このセミ・バイキングと言う方法は、八王子のせいがの森保育園時代に、東京都の管理栄養士の方が見学に来られて「この方法は偏食予防の利にかなっています、東京都で広げたい」とおっしゃったのが始まり。東京都知事賞を受賞しています。一人ひとりの食べる量は発達や好みで変わります。年齢で同じ量を配膳しても、実際に食べれるかどうかは別問題。食べてみようかなと言う気持ちになるのが大事なのですが、食べず嫌いを増やしたくもありません。

酸っぱいものは腐敗、苦いものは毒。子供の味覚は生まれながらそうできています。だからトマトやピーマンは苦手です。甘いものや旨味のあるものは栄養になるからおいしいと感じます。味覚がそういう風にできているのです。従って、おいしいと感じる料理や提供の仕方が大前提。見かけや先入観で嫌う時は、味見をしたり、ちょっとだけと言うのがうまくいくこともあります。その次に量の問題が来ます。いっぱいちょっとです。

おいしい、と言う経験がまた食べようと言う気持ちを見ます。食べれたピカピカと言う達成感が、また食べようと言う意欲を育てます。我慢して無理して食べた「えらいね」と言う食べさせ方は、それを嫌いにさせます。また、前向きな気持ちも育ちません。食べたと言う結果は、同じでも、意欲や食に向かう姿勢が180度違ってくるからです。

 

 

9月9日昼食

2024/09/10

ごはん

鶏の塩麹やき

切り干し大根の煮物

小松菜の味噌汁🥬

キウイ

麦茶

保育園が「美味しさ」を追求しにくい別の理由?〜とうきょうすくわく〜

2024/09/04

食べ物が「おいしい」というとき、美味しいと書くなら、味にも「美」を感じるということなのでしょう。その場合の「美」はとても広い意味であり「よい」という意味に近いのかもしれません。そう考えると保育の方向にも「よさ」があるので(というよりも人間はなぜかわからないけれども「よさ」を追求しているので)、美味しさを求めるということも大いにあっていいことでしょう。

というようなことを考えていた時に、先日9月2日に、大妻女子短大の栄養学の先生がいらして、次のようなことを話されます。その短大から実習生を受け入れているからです。(写真)

・美味しい給食づくりを目指しているのに、実際は栄養とメニューの工夫ということにどうしても力点がいきます。

・それはそれで大事なことなのですが、作るところまでで、実際にどう食べているか、どう食べてもらいたいか、そのためにはどうしたらいいか、というところまではなかなか届かない。

そしてこうおっしゃいます。「保育所に栄養士の必置義務がないから、養成校も保育所での食事の提供のあり方を教える内容が乏しくなってしまう」ということもあるそうです。なるほど、そうかもしれないと思いました。2年間養成課程の中で、高齢者や介護施設や病院や企業の給食も学ばなければなりません。

確かに一方で、こんな話もあります。「栄養士と調理師の両方を採用するといいよ」という方もいるのです。その趣旨は、調理師の方が美味しい料理を作れるという意味です。

しかし、実際に採用した経験があるのですが、確かに腕はよくて、早く調理できて、盛りつけも上手だったりします。ただ、たまたまそうだったに過ぎないのですが、長く飲食業界での修行経験者なので、味付けは濃く、上下関係が厳しく「昭和作法」で仕事を部下に求めます。若い人はついていけませんでした。

そのケースに限らないのですが、21世紀生まれの人への育て方を昔の経験者は教わっていないので、採用後のリスキリングでは間に合いません。

というような話をしたのですが、上の話は誇張気味だとしても、似たような話を聞きます。

ちょっと話はそれますが、保育所の調理業務というのは、栄養計算も必須で保健所に提出しなければなりませんし、その上で献立を作成し、そして食材を選んで発注し、実際に毎日、基本的にその日の朝早くから調理業務(離乳食から幼児食、食物アレルギーの代替食、延長保育の夕食や捕食まで)があり、食中毒予防などの衛生推進も怠ることもできません。

このような業務の上に「喫食指導」や「食育」があるという現実があります。期待したい業務を広げていくと、かなり保育所ならではの専門業務があって、もしかすると、食育を担う保育者としての「調理員」のあり方を、ちゃんと検討しているところがない、ということかもしれません。しかるべき「調理員」の姿が、それぞれの保育園に任せっきりでいいのでしょうか?そんな疑問が頭をもたげてくるのでした。

「味の探究」が始まりました〜とうきょうすくわく〜

2024/08/30

8月30日(金)から、にこにこ組(2歳児クラス)で味の探究が始まりました。これは「東京すくわくプログラム」の一環としてやるものです。以下は東京都に提出する事業計画を作成するときに検討した内容になります。

・・・

乳幼児が「おいしさ(味)」を「探究する」ということの意味

1.はじめに

人は子どもも大人も食べ物を「おいしい」と感じている。確かに、その味覚の機能は身体に備わっている。しかし、いろんな食材があって、いろんな調理法があって、料理されたものを食べるときに、乳幼児の食の営みの中に、「おいしさを味わう」という体験が希薄かもしれない。なぜなら、例えば、カロリーや栄養のバランスには気を使ったり、完食するということを目指したり、なんでも食べられるようになることを目指したり、マナーよく食べたりすることは多いかもしれないが、果たして味の違いに気づいたり、おいしさというものを追求するような食の営みが大切にされているだろうか?

2.味に気づくことは発達するのか?

味覚は視力などの他の感覚機能と同じように、小さいうちに、年齢的な経過に伴って、微妙な味の違いに気づいていくようになるだろう。だとするなら、空腹を満たすための食事ではなくて、小さいうちから食べ物をじっくりと味わうという体験を積み重ねることで、「味わう」ということも発達していくのではないか。そんな仮説を立てみるのは見当はずれだろうか?

3.「おいしい」と意欲的に食べようとする事実はある

子供たちの様子を見ていると、確かにおいしいと意欲的に食べようとする姿、そういう事実はある、

・それなら「おいしい」と意欲的に食べようとする姿が増えるような活動を工夫する。具体的には、食材の段階からそのもの注意を向かせて、料理のプロセスもじっくりと見せて、食べ物への関心を高めながら、何をいま口にして食べているのかという意識をそれに集中させることで、味覚体験の密度が高まるようなことを積み重ねる。

・色々な野菜を「おいしい!」と感じて意欲的に食べる体験=事実を積み重ねることで、その子どもにとって何が「おいしい」ということかが、感覚的に洗練されていくだろう。その姿をどのように捉えていくか。

4.「おいしさ」の体験が積み重なる要素を抽出する。おいしいと感じるための要素には、以下のようなものが考えらる。

・食材そのもののおいしさ(低農薬のおいしい野菜を選ぶ)

・調理法の違い(素材のおいしさを引き出す調理ができるプロのシェフが調理する)

・味わうことに注意を向けた喫食行動(今回のプロジェクトで大切にしている当日の活動の流れ)

・関連する他の体験(料理や野菜に関連する活動や、同じ食材の販売を通じて、家庭での食事と連携を図るなど)

5.子どもの姿の変化を、色々な側面から眺めていく

・その時の体験の熱中度と積み重ねから見られる姿の変化を、数ヶ月、数年の単位で追いかけてみる。

・・・

30日には3種類のなすを、じっくりと観察したり、会話をしたりしながら、注意を向けるような問いかけをして、食べてみました。どんな味がするだろうと、まさに味覚を探究しようとする姿勢が見えました。

観察した様子は、詳しくまたお知らせします。

8月30日野菜販売「なす&とうもろし」

2024/08/24

低農薬あるいは自然栽培の安心・安全な野菜の販売を始めます。

初回は「なす」と「とうもろこし」です。

農家からの直接お取り寄せなので、おいしくて安いです。

販売の日には、昼間に同じ食材をもちいた食育活動をします。

子どもたちが「野菜大好き」になってほしくて、食育活動と野菜販売を一体的に始めます。

保育園で晩御飯を食べて帰ろう

2024/01/12

今日は保護者コミュニティ「しずくの会」との共催で、夕方のレストランを開きました。約30家庭の親子に晩御飯を食べてもらいました。メニューは主食が台湾の丼ルーローハン、副菜は中華サラダ(野菜のナムル)かコールスローの選択、それと中華スープとデザートに果物(ミカンかバナナ)です。ふだんの給食の献立のなかで子どもたち人気のあったものから選びました。

この試み、開園して5年が終わろうとしていますが、やっと実現しました。これまでコロナ禍もあったため、給食の試食会もままならなかったのですが、毎日こどもたちが食べている保育園の味を家族て味わってもらう機会にもなりました。保育園の家庭にとってワークライフバランスの工夫は、当事者でないとわからない苦労というものがあります。

とくにお母さん(あるいはお父さん)だけが専ら食事をつくる家事分担になっているとき、毎日朝夕の献立を考えて買い物や料理をすることは、並大抵のことではないことが多いでしょう。なにも考えなくてもいい日がある、というだけでもちょっとした開放感を感じるかもしれません。保育園でたまに晩御飯を食べて帰ることができれば、お風呂に入ってあとは寝るだけ。親子で過ごす時間がゆっくりとれたりするといいですよね。

調理担当の栄養士たちも「美味しいといってお代わりに来てくれてうれしかった」とのこと。当園の職員には本当に頭が下がります。今回は全部保育園で用意してみましたが、別の形と組み合わせながら、継続的にできるスタイルをみつけていきたいと思います。参加された方にはアンケートをネットでお願いしましたが、どうぞよろしくお願いします。

・・これぞ春の七草

2024/01/05

 

「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すすな すずしろ これぞ七草」。

こういうものは、周りの大人がただ何度も唱えているうちに、子どもは覚えてしまうものです。別に子どもに覚えさせたくて大人が唱えるわけでもないのですが、実際は「こっちがスズシロじゃないの、いわゆるカブの丸いのがスズナでしょ」みたいなことを言い合いながら、お盆に7つの草を並べて、展示して、子どもたちに見せました。

今日は「七草がゆ」だったんです。3時におやつにしました。ちょっと塩気のあるビスケットとセットで。保育園のおやつというのは、正式には「間食」ですから、お菓子ではなくて、おにぎりやパンや麺などの時もあります。

ただ、こうやって七草がゆの話をしているのは、お代わりを何人もするほど大人気だったからです。昨年までの「七草がゆ」は、あまり人気がなくて、残っていたのです。しかし今回は完食でした。

どうしてこうも違ったのかというと、お粥ではなくて、さらりとしたお茶漬けのようにしてみたからです。炊き込んだお粥の場合は、かみごたえがなくべっとりとして、幼児には不人気でした。(でも乳児には離乳食のようなものだからでしょうか、よく食べています。)どうも幼児になると、かみごたえのある食べ物の方が人気なようです。

そこで、カツオと昆布からとった出汁のカニ玉スープに、七草が入ります。このスープを、軟らか目に炊いたごはんにかけて食べるのです。野菜が苦手だという子も「美味しい」と食べていたので、びっくりです。何人もお代わりをしていました。ぜひ、ご家庭でもお試しあれ。

食べているお米に近づく過程

2023/09/16

栽培や飼育という活動は、食育や自然との関わり・生命尊重のテーマとして、生活の中に位置づいています。以下の記録は、5月から始まった長い活動が、一つの節目にきたことを取り上げています。12日月曜日に年長さん9人がやった稲刈りの様子です。収穫が終わると、これから白米に至るまでのプロセスを丹念に体験していく活動が始まります。

・・・・・・・・・・・

5月末にそれぞれのバケツに植えた稲🌾

 

 

・・・😳

こんなに大きくなりました..!

野菜と一緒に毎日水をたっぷりあげ、月曜日、ついに!稲刈りをしました。

たくさんの葉っぱの中にある 稲 を探し出し、根本からハサミで切る作業は難しくもありましたが、神宮司先生に説明してもらうとすぐにコツをつかみ、器用に収穫していました。

 

今日は、この稲が食べられるようになるまで(みんなのご飯になるまで)の過程を、みんなで観察しながら共有しました。

(少し見えづらくてすみません.. )

「どの順番でお米になると思う〜?」と子どもたちに言ってみると、

じっくり観察しはじめました。

Yちゃんが少しずつ稲からお米に近づいている過程を発見し、みんなに伝えると、「ほんとだ〜〜!」とみんなも近くで見ながら発見!

稲刈り→乾燥→脱穀→もみすり→玄米→白米になって、みんなの食べているご飯になっているという過程を、実際に育て、収穫して体験しながら学んだ時間でした。

美味しかった七夕のカップゼリー

2023/07/07

七夕会は所どころ、入園見学の方と一緒に見ました。子どもは楽しかったことや面白かったことを再現させたがります。それは実際に「もいっかい」とやることになることもあるのですが、たいていは再現遊びになります。

今日は行事食だったので、いつもよりもちょっと凝ったメニューだったのですが、夕方の自由遊びの時間に、今日のおやつのカップゼリーを制作している子がいました。ブルーハワイ色のゼリーには炭酸も入っていて、食べるとプチプチ弾ける清涼感も味わえました。

そんなときに、「子どもはスキルを学びたがっている!」と強く感じます。こういうのを作りたいというイメージがはっきりしているときに、とくにそうなります。どうやったらカップゼリーが作れるか。その4歳児の女の子は、その味や美しさに心奪われているのでしょう、どうしても作りたいという熱意が伝わってきます。実物と同じ透明なカップに、青いゼリーを入れるのですが、過去にソフトクリームでやったことがあるらしく、テーパータオルをクシャクシャにして丸くすると、青色の折り紙で包み、その丸くなったぜリーをカップに押し込みます。

その上に黄色い紙を星形に切って(そこは私が手伝いましたが)セロテープでくっつけました。ほとんど自分でできたのですが、出来栄えに納得しているようで、うれしそういです。ところが実物の写真とくらべて何か違うと気づきました。白いクリームが抜けていたのです。またすぐに星を外して白い紙の上に載せなおしました。お迎えに来た母親にもその制作物をみせ、展示食ケースに入っている実物を親子でみていました。

私は模倣というのは人間の本質的なところに働く何かだと思うのですが、心動かされた世界と出会い、その魅力をもう一度味わいたいから、言い方を変えればもっとよく知りたいから、再現させているように見えます。それを繰り返しながらさらに、そのことが好きになり、その世界へ入り込みながら、またいろいろな差異に気づき、さらにもっと知りたい、できたいとつながっていくのでしょうね。

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